2007.04.06

かもめ食堂のコーヒー

少し前に映画の“かもめ食堂”を観た。
印象に残ったのは、透明感のある陽の光の色と、
本当に何度もでてくる俳優の小林聡美がコーヒーをいれるシーン。


具体的にいうと、コーヒーの方は、

「1日何十回となく手でいれるコーヒーが、お客さんに美味しい!と満足してもらえる」

という出来事自体が、気になった。

自分も毎朝、そしてトモダチが家に来た時なんかは、
コーヒーメーカーではなく、手でコーヒーをいれるのだけど、
コンスタントに美味しくいれるのって、なかなか難しいなと感じている。
毎朝の自分の分はともかくとして、豆の種類とか、お湯の加減とか、人数とかで、微妙に調節するのがうまくいかなかったり。
トモダチにいれる時などは、ちょっと緊張して余計、失敗したりして(笑)。


お客さんに美味しいコーヒーを入れるという、ごくシンプルに見える行為を
百発百中で出来るということは、お商売とはいえ、すごいなあと。
そして、自分の仕事のことを省みたりしました。
自分の仕事で、それは具体的に何に当たるかは、……いろいろあるかな。


Brawn

最近やっとブラウンのコーヒーミル入手。
挽きたてのコーヒーの粉はお湯をそそぐと本当によく膨らんで嬉しい。
挽きたて豆での煎れ方、練習中。




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2007.03.03

伝統工芸と現代性

今日、
「さるところに京都伝統工芸の写真を送るから、現代に活きる作品を1点づつくらいピックアップしてください。」
との連絡があって、自分が撮影した伝統工芸の数々の写真を見直してみる。
いざ選ぼうとすると、なんだか難しかった。

今迄に撮影したのは、京うちわ、組み紐、表具、金襴、指物、絞り染め、砥石。
撮ったものをみてみると、まぎれもなく昔からの技術で作られたものなのだけど、どれも今私たちが暮らしている現代に充分活かせるものと思えた。(これは、本当にそう思った)
すでに現代性をもった商品に仕立てている老舗さんもあるし、これから、というところもあるけど、「過去の遺物」と見えるものは、一つも無いと思う。
だから、写真の選択が難しかったのでした。

結局は伝統的なテクニックが際立っていて、かつモダンに見えそうなものを選んだつもり。
その高度で洗練されたテクニックを必要としてくれる場がもっと増えるといいと思いう。それを本当に必要としてくれる多くの人々に出会うのは、たぶんこれから。

Machiyacafe02
Machiyacafe01
先日仕事の後にいった上京区にある町家カフェ、和み系。本がいっぱいあって、ゆっくり読書も楽しめそうでした。


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2007.03.02

種を蒔く友人を見ていて

起業している友人の中でも、とりわけ素敵な種の蒔き方をしているなあと思うヒトが何人かいる。

そのうちのひとりは、世の中の流行というものにもちゃんと通じているけど、最終的には自分のアンテナをきちっと使って決めて、仕事の種を蒔き続けるヒト。彼女の動向は、興味深くって出来るだけ近くにいて、逐一見ていたいと思うほど。
特に参考にしたいのは、種を蒔く先の選択の思い切りのよさと、もしプロジェクトが滞ったとき(あるいは失敗しそうなとき)の受け止め方、おおらかで前向きな対応。彼女をみていると、直感的に先を読むことが出来ているのかなと感じる。私はそこから、自分なりに読み取っていきたいと思う。

彼女にくらべると、私自身はまだまだ種蒔きの準備をしているところ。どう種を蒔くか、種まきのタイミング、うまく芽が出そうにない時などなど、もっともっと考えなければなあ。
でも、まず少し蒔いてみよう。HPづくり(タタキ)は、さっさとしなければ(笑)。

一方で、仕事のために蒔いたつもりでもなかったのに思わぬところで芽が出て、びっくりすることが最近あった。
昨年、グラフィックデザイナーの友人が、彼の結婚式のスナップ写真係を私に頼んでくれた。私は、それがきっかけで一眼レフデジカメを購入し(前々からとっても欲しかったのだけど)、再び写真にハマって、他の人の仕事のための写真を撮っていたら、その写真を見て、彼からちょっとした写真仕事の話がありました。今週のことなんですが。
これは、仕事に関係ないと思っても、興味のあることに対しては、先行投資、すなわち種蒔きすべきという教訓???
自分でも驚いた体験でした。

Wedding
友人の婚配式(いわゆる結婚式)は、木造のかわいらしい教会で行われました。

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2007.03.01

parammm.com

一昨、パラムのドメインを取得しました。
覚えやすい、parammm.comが取れて、ちょっと嬉しい。

サーバーもまだレンタルしてないし、現在ホームページ作成中、とりあえずは
http://parammm.com
を入れると、このブログに来るようになってます。

Saezuri
先日、自宅近くの上御霊神社でのさえずり市をのぞいてきた時撮ったもの。さえずり市は、ちょっとしたアンティーク市、フリーマーケットです。

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2007.02.14

今日はコーヒーミルを注文

だいぶ前にブログで書いた白山陶器 森正洋デザインのコーヒーカップ&ソーサーは、三条烏丸の新風館で売ってるのを発見し、先月購入。やはりこれにしてよかったです、大きさ、バランスがとってもよいし、工業製品だというのに、とっても愛着がもてるようなデザイン。なんででしょ?角の微妙な丸さや、陶器自体の薄さ(華奢さ)からかな?
それに買ってみたら、スタッキングできるということがわかって、かなり満足。

コーヒーをちゃんといれたいと思い始めたのは、昨年春にKono式ドリッパーとサイフォンを使ってのコーヒーをいれるレッスンをうけてから。そのあと、友人に水色のKono式二人用ドリッパーを貰って、それで毎朝コーヒー入れて飲んでいるのだけど、あと、お湯を糸のように注げる細口ポットとコーヒーミルがほしいと思っていて、ずっと買ってなかった。(昨年春からかなり時間経ってますけど。笑)

しかし最近、すでに挽いていあるフェアトレードのコーヒー豆を友人からもらって、一緒に飲んだ時に
「自分で挽くのと、すでに挽いてあるものでは、同じ豆でも全然違う!」
と断言するのを聞いて、やっぱ買ったほうがいいかなと思いはじめ、やっと本日注文しました。
朝、一刻でもはやくコーヒーを飲みたい私は、手できこきこ挽くミルではなくて、電動のコーヒーミルを買うことにしました。ブラウンの白いシンプルな筒型のデザインのもの(これも前から決めてた)。早ければ、今週末に手元に到着。ふふ、単純に嬉しいです。

そうしたら、最後はコーヒーポット。
ホーロー製がよいか、いかにも細くお湯が注げそうな、ステンレス製がいいか、ずっと悩んでます。
友人はホーローで湧かすお湯のほうが、絶対美味しいという。それも頷けるけど、うさぎ印の野田琺瑯は、糸のようにお湯が注げるという話は聞いたことが無い。うっかりすると、ドボッと出るという話は聞いたことがあるけど(笑)。
琺瑯で湧かして、お湯を落ち着かせる(温度を下げる)ために、ステンレスの細口ポットに移し直すか?
性懲りもなく、まだ悩んでます…。


Cup
カップはスタッキングするとこんな感じ。

2007.02.03

撮ることはコミュニケーション?

今日は知人の本づくりで、写真について話し合う。
その写真とは、先日私が生後二日目の赤ちゃんとそのお母さんお父さんを撮ったのもの、そして半分ほどはその知人が撮った記録的なもの。
知人が文章を構成したものにそれらの写真をつけて、ちっちゃな写真集をつくるということだ。

知人はお母さんと赤ちゃん(正確に言えば、妊娠時から)をサポートする仕事をしており、私が写真を撮らせてもらったお母さんとは、妊娠時に出会って無事出産の今にいたり、思い入れは私には到底はかりしれない程。
その本づくりのストーリーの流れ、そしてどの写真がそれにふさわしいか、私にスケッチをみせてくれながら、ベストにするにはどうするのがいいか四苦八苦しつつも、半分喜びの感じで興奮ぎみ。
その長い道のりの一番オイシイところを写真に撮らせてもらったようで、申し訳ないほどラッキーだなと思いつつ、それ以上に何か充足感を感じ、それはいったい何なのだろうと、知人の苦悩振り(=思い入れ振り)を見ながら考えていた。

漠然とだが、それは単に美しい瞬間を写真という形で切り取れたということだけでなく、“撮る”というかたちで、お母さんお父さん、赤ちゃん、それからサポートする知人とコミュニケーションしていたからではないかと、思った。たくさんの言葉を交わすことによるコミュニケーションというものではなくて、観察、そしてそれによる感情表現(私の)とか、実際の言葉による投げかけとか。

先週今週と、今回の知人の他にも写真を撮る機会があった。今こうして振り返ると撮るものが異なってはいたけど、それぞれのコミュニケーションがあったように思う。
そしてこの体験が、自分のデザインの仕事に何らかしら役に立つのではないかと、漠然とだが感じている。


Kannagake
“かんな掛け”の図。木工をやってる知人に、練習で写真を撮らせてもらいました。


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2007.01.11

ものづくりのツールについて

某学校で製図+設計の講義をもっているが、本日は学生の作品の発表、講評。今年度最後の授業。

授業では、ベクターワークスという製図ソフトをつかっているのだが、そのコンピューターの計算による3Dの質感表現がキレイすぎて、考えこんでしまった。ガラスの表現とか、水の表現とか、必要以上にキレイなのだ。
何を危惧しているかというと、単純にコンピューターの質感表現がキレイなためにそれに満足してしまい、学生が自分のデザインの完成度を高める作業を止めてしまいかねない、ということ。その質感の綺麗さが、本当の素材の見え方とも異なっているとも感じられ、また問題。

コンピューターによる空間表現が間違っているとは決して思ってないし、模型をつくる技量を持ってない場合は、この製図ソフト、かなり手軽なツールである。
そのあたりの特徴(ある種の勘違いしやすいポイント)をどう学生に教えたらいいのか。
ものづくりはツールの選び方、使い方にかなり左右されるものだな…。


Dsc_0131_1_1
最近一眼レフカメラを再び使い始めて、ある程度マニュアルで操作できるカメラの特徴は“ボケ”具合(被写界深度)が調整できるとことであると、改めて実感。

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2007.01.08

北向きの部屋は撮影向き

Flores
現在の私の住まいは、北向きの窓一つしかついてないワンルーム。
マンション自体が築年数が古いということ、それからこの北向きということで、広さのわりに家賃は安い。

日本では南向き信仰が強いので、北向きの部屋は敬遠されがちだけど、場合のよっては、そんなに悪くない、むしろ望ましいものとなる時もある。
まず、私の部屋は3階で、窓のついてる側は近くに2階以上の建物がなく、北側とはいえかなり明るい。はじめて部屋を見た時は、言われるまで北向きと気付かなかったくらい。
また、北側採光のよいところは、入ってくる光が基本的に反射光であるため、光が安定していて、光の色が白い(黄色くない)ことである。反射光であるというのは、太陽からの直射日光ではなく、空で空気中のなんらかに反射して届いている光ということ。
以前仕事で少し関わった画家の方のアトリエの窓はあえて北側窓からだけの採光であったし、やはり北側高窓だけの採光であった写真スタジオも目にしたことがある。
あえて北向きを選んだわけではないのですが、自分で白くペンキ塗装した部屋は、ときどきする写真撮影に丁度よい。

この部屋に届く北側からの光は、私の印象ではやわらかく、すがすがしく白い。
結構気に入ってます。

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2007.01.07

京都は今年はじめての雪

Yukikyoto
朝なのに外がなんだか暗くなったなと思って窓を開けたら雪が降ってました。
遠くは真っ白、京都を囲む山は全く見えません。
雪の粒の大きさからすると、「積もるかな、積もらないかな」といういう感じ。
あまり寒くないので、積もらないかな。

今年は寒さ対策に、オイルヒーターを買いました。(駅前近鉄の閉店バーゲンで。笑)
すごく寒がりなので、部屋の広さに対して、1.5倍くらい容量のものを購入。デロンギとかは高いので、他メーカーの格安のものを。
1台は窓脇に、1台はデスクの近くに。エアコンとかの暖房では足が痛くなるくらいに冷えることがあったのですが(ホットカーペットとかでも暖かさが足りない)、輻射熱式のコレは、今のところそれがありません。
これで京都の1、2月の寒さが乗り切れますように。

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2007.01.05

もの作りはピクニック_週末講義その5

Gantan15昨年末に知人と話ていた時のこと。
独立して一人で仕事するっていうことに対して

「一人で仕事するものもちろん悪くないと思うけど、自分は何人か(チームで)で仕事することに、惹かれる」

というようなことを返してくれた。
それを聞いて、昨年11月の週末講義の講師の方が

「ものづくりはピクニック」

といって、彼の仕事の過程などを説明してくれたのを思い出す。
彼にとって“ものづくり”はある意味ピクニック、成果物も大切だけれども、その過程を楽しむこともとても大事なのだと。だから、プロジェクトのキックオフも重要で気を使う等々、話にのぼった。

これで気付いたのは、前の設計事務所に勤めていた私は、やはりピクニックに参加する側だったのだということ。
そして、今は一人だけどこれから誰かと一緒に仕事をするのは必然なので、今度は自分がピクニックの場を作る側になるのだとも自覚。

また、その講師の方は

「コラボレーションは掛け算」

と言っていた。
よい化学反応を起こせるコラボレーションは足し算ではなく、掛け算。
これも印象深い言葉でした。
一等楽しいピクニックは、掛け算になるということですね。

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2007.01.02

仕事とオトナ

Omikuji
ある友人とことあるごとに話題になってしまうのは、
“自分の仕事さがし”
“大人って何?”(ひいていえば、無自覚のまま大人になりたくない)
ということ。

社会にでて10年以上にもなる私が友人とこのテーマを話すのは、他人から見ると“何を今さら”と見えるように思うし、それも私が先輩として彼女に何かを伝えてるのではなく(その友人とは10以上歳が離れている)、同じレベルで話をしているのだから、ほんとに不思議な光景に見えることだと思う。
しかし、今になってこのテーマに私が取り組まなければならなくなったのは、昨年に数年つとめた設計事務所を辞め、自分で仕事することになったことがたぶん大きな理由。
それは、自分が小さいながらも事業主として準備しはじめてから、

“自分”と、自分のやる“仕事”

に自分で消化しきれない“建前”のようなズレがあると、気持よく(納得のいく)仕事ができないと気付いたから。
この場合の“自分”とは、“大人である自分”と言ってもいいのではないだろうか。


今日このことをここで書くのは、その友人が大切にしている本を借りたから。
それで、その本のはじまりでは、

子供の頃にはあったのに、大人になると無くなってしまうものがたくさんある、それを幾つ無くしたかで、人はどれほど大人になれたかを計るようだ。僕も今日までに無数の輝きを失ってきた。…

とあったのだ。
この本は素敵なエッセンスが詰まっていると思うが、この冒頭文には、私は反対の考えをもっている。
それは、

自分が心から納得できる仕事を見つけることができれば、子供のころに持っていた輝きを失うことなく“大人”になれるのではないか

ということ。
私はこれを探索していくことになるでしょう…本能的な自分がそう命じているので(笑)。
すでに社会人歴10年以上ですが、自分のめざす大人になるのは、まだまだのようです。

ちなみに彼女が勧めてくれた本はこれ↓私は“ママ”探しのテーマが面白かった。
望月通陽氏のイラストもとっても好き。




ミラクル


Book

ミラクル


著者:望月 通陽,辻 仁成
販売元:新潮社

Amazon.co.jpで詳細


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2007.01.01

昨年末、友人との会話

Gantan17私にとって、山あり谷ありだった去年を何とか乗り切れたのは、本当に友人、家族、周囲の人のおかげ。
特に年末二人でしっとりと忘年会をやった友人、それから一緒にペンキ塗りをした起業仲間からは、いい意味で心にずきずきくるような刺激をもらいました。
年末滑り込みのような感じで開業届をだし、設計事務所登録をして、ゆるゆるとだけどスタートを切った私には、本当に気持が引き締まるような言葉をもらいました。
その言葉とは、

まず自分が頭(トップ)で仕事をしていると、いい意味でも悪い意味でも、人とのつき合いや仕事の反応はダイレクトに返ってくるということ。

そして、それについてごまかし(曖昧にする)は通用しないということ。極端にいえば仕事の不手際や不誠実は、“無かったこと”には決して出来ないということ。

だからといって、失敗が許されないというわけではなく、ミスをしたらそれを誠実にフォローすれば、それは許される、と起業仲間の友人は教えてくれました。

“無かったことにして、次に進むのは解決にならない”

というのは、昨年私が書いてた週末講義の講師の方も似たニュアンスのことを言っていて、本当に心に沁みました。それにしても、彼女たちと話していると、いつも自分を包み隠さず正直に見せなければならない状態になってしまいます。そうさせる彼女たちの生き方(スタンス)ってすごいなと常々感じています。また、自分をありのままに見せるのは本当に恥ずかしくもあるけど、よく考えるとそういう友人がいるって実はシアワセなことだったりして、そんな自分の人生に感謝したりしてます。
今年もこんな友人たちとたくさんの時間を過ごしたい。

最後になりましたが、あけましておめでとうございます。
今日は家族と実家近くの神社を初詣で3つをはしごしました(笑)。
我が家の元旦の慣例行事です。
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2006.12.18

週末講義その3…“自分づきあいを大事にする”

社会にでて、会社で働くことについての話題からきたのだろうか、

“自己”と“個人”は別であると考える方が楽である

と、講師の方が図で説明してくれた。

この場合、

“自己”とは感情部分の自分、
“個人”は思考を使って社会に対峙している自分、

としている。図では“自己(感情)”をオブラート状に“個人(思考的な自分)”が包み、“個人”が社会(また、会社)と接している。

端的な例だけど、会社の指示で自分の意にそぐわない仕事(たとえばノルマがきつすぎる仕事)を与えられ、やり遂げなければならないとする。
通常会社に雇われている以上、

その仕事はやらないといけないとするけど(=個人、思考的な自分)、
“意にそぐわないでいる自分がいる”ということ(=自己、感情)を、

自覚していることが大事ということだ。

「あ、自分は納得しないでいる」とか「自分は悲しんでいる」とかの“自己”にもしっかりつき合うということが大事ということ。
自己のない個人ほど、空虚で面白くないものは無く、自己を無理に押し殺し見ないふりし続けると、体にだって変調をきたしてしまう、とのことだった。

それにしても社会に出る前の学生が、この“自分づきあい”について、こんなに明解に知る機会に遭遇するなんて、凄くラッキーだよなあと羨ましく思って、それを同じ講義をうけてた知人に話したら、

「それは今のあなただから、すごくラッキーだと思うのであって、
学生はそこまでリアルに理解できるかどうかは、わからないよ。」

という、コメントが返ってきた。
そうか、そうなのか…。受け止めるタイミングってものも、確かにあるよなあ。
でもすごくいい説明だったから、凄くリアルに理解できなくても、この

“自分づきあい”

という図式は忘れないはず。


Seri

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2006.12.17

週末講義その2…“桃の色”

ある著名なデザイナーが、スタッフに色を指示するときに、
「はい、これで」と、実物の桃を渡したことがあったという。

このエピソードをもとに講師、学生皆でディスカッション。
「色っていっても、実物の桃だったら1色じゃない。」
「色はもちろん、重さだって、香りだって、それに熟れ具合とか、実物の桃には、いろんな情報が詰まっているよね。」
「それを受け取るひとによって、感じ取る色が違うはず。」
こんな感じで、いろいろな意見がでる。

その中で聞いてハッとしたのは、ある学生が言った、
「桃を渡すことによって、色についてスタッフとコミュニケーションを始めようとしているんじゃないのかなあ。」
というもの。

つくりたいものが、なんとなく自分の中で(色に限らず)桃のイメージがあるとする。
そのような時にはスタッフと桃を眺め、観察しながら、お互いの感性を開いて交換し合って、面白いと思うものを探っていく。

物事の進め方というものは、様々な方法が存在して良くて、この場合は閉じていない、両方向意思伝達が可能な進め方といったらいいのだろうか。
桃を渡すのは、指示ではなくてコミュニケーションの始まり。
コミュニケーションを取ることを前提として、時として緩いイメージから始めて見るという方法。


Ringo

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2006.10.22

ファインダーから必死に探してる

最近友達と嬉しいシンクロ。

友達は

“私がわざわざ何か作る必要があるのか?”
という疑問から
“作ればいいじゃん!”

になったとのこと。

私は

“花とか、風景とか、こう一般的に美しいものって、改めて私が写真を撮る意味があるんだろうか?”
から
“そんな深く考えないで、キレイと思ったものはとりあえず、どん欲の撮ってみたらいい”

と、ふっきれた。

私がそう思ったのは、ファインダーをのぞいている時って、めちゃくちゃ必死に神経を研ぎすましている自分がいるということに近頃気づいたから。
自分にとって、「面白いもの・美しいもの」に対して、必死になれる瞬間なんだなと。
カメラは私にとってそういう道具のようです。


ちなみにこういうものでも、必死に撮ります(笑)。
最近賞味した鯛の塩竈焼き。すごく美味しかった…。
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2006.10.10

“美しいもの”は誰もが欲しい。

最近、よく感じること。
普段特に意識してなくても、本当は誰もが

“美しいものを見たい、手にしたい”

と思っているということ。

Niji_s

こんなことを思っていたら、昨日同じチャレンジオフィス内のミリネさんからちょっと嬉しい話をききました。最近新規の方からハングル講座の申込みがあって、そのきっかけは、parammmがデザインしたチラシだったそう。

京都府の施設の某所で、単純に
「キレイな紙面」
と感じて、手にとったチラシがミリネさんのチラシで、ちょうど少人数制のハングル講座をさがしていた彼女は、それをきっかけに申し込んだとのことでした。

私の仕事が、誰かの美しいものに対する思いを、少しでも満たすことができたらいいなあと思う。


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2006.10.09

豊かに暮らすってどういうこと?…ヨガ・生ピアノ・空間

Yoga01今週の土曜日にヨガ(ビジョンヨガ)初体験。
正直なところ、ヨガにとても強い興味を覚えていたわけではないのだけど、知り合いの方が開催するイベントだということ、素敵な空間で生ピアノ(即興!)にあわせて行われるときいて、妹を誘って参加。
ビジョンヨガはもちろんのことヨガも初体験で、ちゃんとできるのだろうかと事前は少し心配していたのだけど、講師の方の丁寧で心地よい声の誘導と、それに絶妙に合った生ピアノで、難なくすっと入っていくことができた。型がきちんとできていたかどうかは別として…(笑)。

指圧やストレッチなどの自分自身による身体への働きかけによって「自分の身体をしっかりと意識する」が今日体験したこと。自分自身の身体でありがながら、普段はこんなふうに意識することは無い。ピアノの音を聴き、素敵な空間に身をおいて、身体の隅々に自分の意識を流し込むことによって、身体に何かが通ったようで、新鮮で満たされた気持ちになりました。
ピアノが流れる中、講師の方が穏やかな声で「こころと身体は繋がっています」というような言葉を繰り返されていましたが、それを「なるほど」と実感するような体験でした。

Yoga02

会場はこんな素敵な邸宅でした。
Yoga04_s

Yoga03_s

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2006.07.29

久しぶりのトリップ

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一昨日に友人と枚方市にある某洋裁学校にいく。
友人はここの洋裁学校を見学するのが目的、私の併設のカフェでお茶を飲むのが目的。

去年の夏に訪れた時と同じように、敷地内は草ぼうぼう。昔の木造の小学校のような小さな校舎が建っていて、その裏手に半ば打ち捨てられたような小さな小屋(カフェの人、ごめんなさい!でもそれがとても貴重だと思ってます)があってそこがCafe。
最初友人に連れてこられ来た時は、「え?ここホントに大阪?」みたいな衝撃をうけたという、トリップ具合です。
ここに着くまでは、久しぶりに会った友人と最近考えていること、これからやりたいことなど、いろいろ喋っていたけど、カフェの席に着いたら、この雰囲気に負けて脱力。
少し汗をかきながら、気怠く心地よい夏の午後を過ごしました。

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2006.06.09

豊かに暮らすってどういうこと?@京都御所

豊かに暮らすっていうのは、一体どういうことなんだろう。
カタチのあるモノ、無いモノ、時間・空間にとらわれずに何でも揚げていこう。

例えば昨日は、用事があって、河原町今出川あたりに出掛けた。
用事を済ませたあとは、地下鉄に乗ってオフィスに戻るために、御所を北東端から南西の門まで、つっきって烏丸丸太町の駅に向かう。
その場合の私のルール。
「歩行用の砂利道や小道はなるべく歩かない。」
「樹や草が茂っているエリアを選んで歩き、なるべく大きな樹の下を通っていく。」
そうすると、こんな風景を見ながら歩くことになる。

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この体験が特別なことではなく、普段の出来事とできたら、それはとっても豊かな生活だと思う。

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2006.04.16

セミナー・デビュー?

チャレンジオフィス内のメンバーでセミナーをやるという企画がある。

この6人のメンバーの中で、実際に起業していないのは私だけ(起業準備中)。「para mujeresさんもセミナーやりますか?」と尋ねられ、返答に詰まってしまう。
セミナーはまだ企画段階で開催は本決まりではないのだけど、行われるとしたら6-8月とのこと。7月までは個人的に起業塾に通う予定、その宿題が多そうなので、人に提案するネタがつくる時間ができるかどうか微妙だなと考え込んでいたら、同じくセミナーをやる先輩から

「アピールの場だと思えばいいんだよ。」

とアドバイスされた。
要するに、自分がこんな仕事をやっている、という“さわり”が発表できればよい、ということ。私の場合だったら、今まで手がけたリフォーム物件などの紹介でもよいとのこと。
それなら出来るかも、と一瞬思ったけど、持ち時間は1時間〜1時間半。そんなに喋るネタがあるのだろうかとまた不安に思っていたら、

「ワーキングをすれば、1時間なんてあっという間だよ。」

と再び先輩がアドバイス。
“ワーキング”という言葉は初めて聞いたのだけど、セミナーを聴きにきた人に質問したり、意見を聞きながらお題を進めていくことかなと、理解した。なるほど、確かにそうかもしれない。少なくとも1時間くらいなら間がもちそう。それに私もお客さんの意見、感想、質問など是非聞いてみたい。

最終的には、「やってみます。」という返事した。
でも、日程はなるべく遅く、8月になるようにしてもらった。一人や二人のお客さんにプレゼンテーションをすることは何とか出来るけど、沢山の人(数人でも)を前に話すって、考えるだけでもどきどきする。今はあまりリアルに想像しないようにしよう、胃が痛くなるだけだから(笑)。


余談ですが…雨が降ったにもかかわらず、京都・鴨川のサクラ、もちこたえています。
Sakura

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2006.04.15

キャンドルとエコ

Candle
マヨルカ島でお土産に買った香りろうそく。火をつけると実はあまり香らない。


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昨日チャレンジオフィスの先輩、京都キャンドルさんのブログをみて、面白い記事があったので、それについて彼女に聞いてみた。
記事は「エコチャレンジコンテスト大賞受賞」である。
ブログには受賞したアイデアの内容が説明されていなかったので、それを尋ねてみたのである。

どんなエコかというと、夕食時に電気を使用する照明器具は点けずに、キャンドルを灯してその明かりでご飯を食べるというもの。何ともシンプル、でもとても楽しいアイデア。これで彼女は大賞を受賞した。
そのあと聞いた事後談等々も興味深かった。

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受賞したあとは、そのアイデアを一ヶ月実際に実行してみて、報告することになっていた。
彼女は二人のお子さんと夕食時に実行したのだが、ロウソク灯してのご飯は、子供にとってはさすがに雰囲気ありすぎのようで、毎日実行するには至らなかったとのこと。「子供はこちらの思う通りにいかない。」と彼女。子供の感触をみながら時々キャンドル・ディナーをしていたようです。
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「どのくらいの数を灯したら、ご飯が食べれる明るさになるか?」という私の問いに対して。
1本灯したくらいでは、ご飯の美味しさを目で確認できるような明るさでないのは、想像できたので聞いてみた。
「普通の(太さの)キャンドルで5本(5カ所)程度」とのことでした。普通の太さとは、ケーキの上に立てるような細いものではないです。少なくとも直径2センチくらいあるようなものだと思う。
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「電気は使用しないが、キャンドルの燃焼によって二酸化炭素が発生するので、エコでは無いのではないか。」という意見もあったようである。これについては、実際計算をしてみれば、どっちが(CO2の排出という観点で)エコであるかすぐわかる話である。個人的にも知りたい、と思う。
今の段階では、それははっきりさせて無いのであるけど、彼女としては別の意図もあり、子供達が
“電気で点く照明器具の明かり”と
“キャンドルの灯”、
両方知り、自分にとってその時々よいものを選択できるようにしたい、とのこと。
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うん、なるほど。これを聞いて、“ 100万人のキャンドルナイト”を思い出す。
ご存知の方も多いと思うけど、「電気を消して、スローな夜を」がサブタイトル。
確かに電気を消し、ほの暗くなることによって、時間の流れも目に見える場所としても、まったく異なったものになる。当たり前のように受けている文明の恩恵(?)を立ち止まって考える機会になるのだろうか。
サイトのこの画像の日本をみると、小さい国土なのに、すごく明るいが見てとれる。ちょっと驚き。

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