2007.05.04

頼まれもしないのにする仕事

Azumino
安曇野のちひろ美術館にて。クジラのような雲とちいさな女の子。


ごく最近知り合いのなった方の日記で、著名な建築家の言葉をみつける。

「頼まれもしないのに絵を描く仕事を一杯しておけば、見つけてくれる人がいる。
大事なのはやるからには手を掛けて徹底的にやる。
無駄になるかもしれないが、頭、手、足を懸命に動かして備えを怠らない。」


私が、この言葉に反応したのは、先日知人と会ったときに、

自分の会いたい人にもっと会いにいく必要がある

と、思ったのと同時に、その時に自分の仕事の何かを持参するべきだと、思ったから。その自分の仕事とは私の場合、過去仕事では量が少ないから、これから作る必要がある。

それから、この“頼まれもしないのにする仕事”という言葉は、このブログでよく登場する“自分の仕事をつくる”という本にも、取り上げられている。
その章の結びには、

…要は、仕事の起点がどこにあるか、にある。
私たちはなぜ、誰のために働くのか。そしてどう働くのか。
「頼まれもしないのにする仕事」には、そのヒントが含まれていると思う。


私が今日思ったのは、頼まれもしないのにする仕事とは、自分自身(あるいはその一部)であるのだろう、ということ。

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2007.05.03

昨日の覚え書き_自社のファン/杉本博司の展示

昨日は大阪で、経営者の知人に会い、彼女の最近の活動についていろいろ尋ねる。
活きた情報を、丁寧にそしてざっくばらんに聞かせてもらって、本当に勉強になった。
自社の顧客はどこに存在するか、そしてそこにどうアピールしていくか、などの話になる。自分の顧客が、大きな市場の中でピンポイントに存在する場合、どう営業していけばいいのだろうか、(多分永遠に)難しいテーマ。
経営者は誰もが判ってる方法の一つである、「自社のファンをつくること」については、怠らず地道にやっていこうというかんじの話になる。

ここでも、

“自社商品のファンをつくる”のか、

“自社のファンをつくる”のか、

という話題になる。
自社のファンとは、小さい会社の場合、“経営者”といったらいいだろうか。
顧客がどちらもファンになってくれれば、もちろん良いのだけど。

彼女からは、たくさんのお話しを聞き、私の方は写真を見せる。
もっともっと作品をつくる必要を感じる。建築写真は難しいとあらためて実感。


せっかく大阪に来たので、NMAOに寄って杉本博司の展示を観る。
点数は少な目だったけど、好きな“数学的形体”シリーズの現物をはじめて見たので、結構感激する。
数式を表現する(たぶん)石膏の立体は、巨大なサイズに引き延ばされ、質感はしっかり描写されて存在感は充分なのに、あまり立体感を感じないのが面白い。
展示空間も、ほの暗くたっぷりとした空間に、静かに置かれていて、気持ちよかったです。

ついでにベルギー王立美術館展も観る。(本当こちらの方がメインの企画展です。)最近“オランダの光”というDVDを観てオランダの光、オランダの空が見たい、もしかして今回それに近いものが見られるかな、と期待していたのだけど、そういう空や光は無かったように思う。残念。今回の作家は、オランダの湖畔から遠いところで描いていた人達だったのだろうな。


Works05様々なる祖型 杉本博司 新収蔵作品展
070407-070624  NMAO国立国際美術館












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2007.04.24

仕事のカテゴリー

“自分の仕事をつくる”
という本は、ふと本をひらいて拾い読みするたびに、“なるほどー”と思う言葉がつまってるな、と思う本。
自分で仕事をはじめてから特に。


今日ひっかかった言葉は、ヨーガンレールという著名なデザイナーの言葉。(インタビュー中のもの)

「自分の職業が何であるか、そういうことはあまり気にしません。
私は、モノをつくってるというだけでいいです(笑)。」

というもの。
いいなあと思う、けど、仕事って従来のカテゴリーにはまってるほうが、
何をやっている人かわかりやすいし、お客さんも、それに対する報酬も払いやすい。

つくる時は、この言葉のようにつくりたい。本来は、カテゴリーありきで、ものづくりを始めるわけではないし。
でもそれで報酬を得るなら、つくるものが、ある程度ほかの人にもわかりやすくて、だれかに必要とされないと。
最近、空間づくりと写真を撮ること両者について、考えてます。

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ものづくりは気持ちのカタチ_その2

今日は書きたいことが幾つかあるけど、まずは前に書いた“ものづくりは気持ちのカタチ”のこと。

先週日曜日の友人宅でのお酒を飲む会が、持ち寄りだったので私も二品ほど作っていってみた。
“自分の食べたいもの”を。
だって、自分が食べたくなければ、他の人にとっても美味しいものにならない気がするんです(笑)。

基本的に日本酒のお伴の予定だったので、作ったのは、イワシの梅干し煮と、青豆ごはんのおにぎり。
イワシの梅干し煮は実家にいたときからの好物。(母のはショウガ入り)圧力鍋で炊いて、骨ごと食べれるように。
青豆ごはんは、最近食べたかったので。
塩と酒で、お米と炊きました。おにぎりの中身は、お豆とぶつかんない程度、と思って、昆布とシャケの2種。
あと、青菜のゆでて花かつおをかけたもの。お醤油かけて、とその場でいうのを忘れてしまった(笑)
私のは、こんな感じ。

この日は、他の友人の持ち寄りと、その場で料理してもらったもので、テーブルがいっぱいになって、だいたいで決めた宴なのに豪華になった。別に集まりのテーマは何もなかったけど、美味しい料理と、肩のこらないお喋りで、リラックスした休日の夜となりました。ちなみに、先の記事にかいた、モノをちゃっちゃとつくる友人は蒸しパンをつくってきてました!
…いいなあ、蒸しパンをさっさと作れるなんて…。

今日になって、一緒にいった友人から、
「鰯の梅煮もおにぎりも美味しかったです。また作ってください!」
とメールをもらった。
ものをつくって喜んでもらえるのは、素直に嬉しい。ご飯でも何でも。
なんだか、自分のちょっとした気持ちが伝わったようで。

「また、作ってください!」っていい言葉だなあ。




+
昨日京都御所を通ったら、サクラが今まさに満開のエリアがあったのでびっくりしました。
南西の八重サクラのエリア。(写真のサクラは美山町です)
Miyama_sakura03

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2007.04.21

ものをつくるって、気持ちのカタチ?

さっさとモノをつくる人に憧れる。
友達で器用な人がいて、ちゃちゃっと、服を縫ったり、おやつを自分で手づくりしたり。
彼女の家で、ホットケーキミックスから作ったんじゃないホットケーキをごちそうになった時は、かなり嬉しかった。

この前は、花見の席にいったら、手づくりのパウンドケーキがでてきて、
「こういうのって、いいなあ、いいなあ。」
と内心感激していた。

すごいのは、友達んちのロフトへ上がる梯子をつくった友達の彼氏。
彼女の部屋のロフトへ上がる階段(折りたたみ式)が、上げ下ろしが面倒なのを見て作ってくれたんだったと思う。だいたいの寸法を測っていって、神奈川県の自宅でパーツをつくり、京都に住む彼女のアパートのロフトに梯子を掛けてしまった。(パーツはどうやって運んだんだろう???)
こんなことって、建築家でできる人はたぶんいないだろうな(笑)。

さっさとこういうことが出来ていいなあと羨ましく思うのは、
「このひとにこれを食べさせたい!」
とか、
「このひとにはこれを贈りたい!」
と、気持ちが一番高まってるときに、それが出来ること。

ものを作るときの基本って、そこにあるような気がするなと、ふと思いました。
私の場合、写真がそれに近いかな。友達の結婚式の写真係の時に、友達の姪っ子の写真をちょっと作り込んで渡したときに、気に入ってもらえたのがとても嬉しかった。
あと食べ物なら、おにぎりなら出せるかな…。


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2007.04.20

大家さんへ自分紹介文

ひょっとしてひょっとしたら、引越するかもしれません(自宅)。京都市内からは出ませんが。
そして、ただ今すごく面白いことに、その引越先の大家さんへの自分紹介文を求められている。
大家さんは遠方にお住まいなので、文面で「面接」ということなんです。

こういう場合、私ってどんな人だと説明したらいいのだろうか考えていて、
このブログとは別に書いている“地球アパートメント”というブログに
自分のプロフィールを載せていたことを思い出した。
ここで書いているのは、私の今迄の旅行歴と今住んでる京都へ辿り着くまでの履歴。
これに、シゴトの履歴を加えたら、パブリックな場での私のおおよその説明になるかなと考えた。
こちらのブログのプロフィールもアップデートしてみようと思います。これから2、3日のうちに。

もし、大家さんがインターネットに慣れ親しんでいる方だったら、このブログがそのまま自己紹介にもなり得るところ。
前に“はてな”の近藤淳也氏の著書で、はてなの新入スタッフ面接はそのひとの書いているブログも主要な判断材料を読んだことがある。ネット上の人格として見るのだそうだ。“はてな”はネット上で生きている会社だからそれが大事なのだと。

前に行っていた起業塾では、こんな話をきいた。例えばブログを1年くらい書いていたら、そこではその人のある部分(全部では無いだろうが)が、正直に表現されていることになるだろうと。その1年自分を偽り続けることは到底無理ということで。

私の友達は、ブログのサブタイトルが時期を追って何回も変えているのけど、そこに彼女のその時期のキモチが現れているよう見え、変わるごとに「なるほど、そう来たか。」と、観察している。
確かブログのタイトルも当初とは変えている。
彼女が、季節や成長にあわせて着替えているように見えてとても面白い。


+
先日訪れた、美山町の茅葺き小美術館。
茅葺きの小屋組スペースが面白い。
5月までは絵画と木彫作品の展示。
Miyama_museum

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2007.04.18

デザインを欲している場所

「あらかじめ与えられたフレームのなかで
仕事をするのが従来のデザイナーだとすれば
…が行っているのは、
デザインを欲している場所を新たに発見しては、
そこに入りこんでいくというような作業である。」

最近入手した本に、載っていた言葉。
まさに、こんなふうに仕事がしたい。
…のデザイナーの方のように、すごい能力を持ってなくても、
ささいな私の能力(デザイン能力とは限らず)を、必要としてくれるひとにもっともっと出会って、
仕事がしたいなあ。
今更ながら、自分が持ってるものを、見直す必要ありかな。



+
夕暮れ時のさくら、美山にて。
Miyama_sakura02

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2007.04.17

クライアントに育ててもらっている

Miyama_sakura_1

前に美山町で撮影したものを、仕事を頼んでくれた友人に先週末見せて必要なものを選定してもらう。
今回はある小美術館のパンフレットづくりの素材として使われるのだけど、そのパンフレットをデザインする彼の選んだものを見て、
「なるほどー、こういう絵を素材として使うんだ!」
と、改めて新鮮なものがあった。

前にも別の仕事で、彼に画像を使ってもらったことがあり、それと合わせて感じたことは、
施設のパンフレットに使うのだから、その空間の説明であると同時に、
ちょっとした視点(空間の見方)の面白さがわかるようなものが撮れたらいいな、と思った。
後でどう使ってもらうかもある程度イメージしながらも、新鮮な眺めといったものが見せれたらいいな。
そんなものがたくさん撮れるように、現場でもっともっとテンションをあげたい。

今回は曇天のもとでの撮影だったので、それに対してどうイメージをつくるかとか、どんな実際のテクニックが必要とか、それから後の画像加工なども、知れて勉強になりました。

仕事をくれる友人たちに育てられている、とつくづく感じるこの頃。
とてもありがたいことです。

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2007.04.12

昨日、学生から聞いた話

Braziliann01
昨日学生から聞いた、興味深い話!

彼がボランティアで全く目が見えない方(話の流れからするとおそらく産まれた時から)の方のショッピングに同行した時のこと。
その方が、服を選ぶ時に、この“色”は似合う、似合わない、と、はっきりと口にしていたという。
例えば「この赤は、私に似合う」等々。
目は見えないはずで、しかも産まれた時から、である。
学生がいうには、手触りなどから、その人の尺度の“色”があるのではないかとのことだ。
と、いうことはおそらく私たちとは全く違う尺度の色の世界というものが、頭の中に存在しているということだ。
そして、それが否定される理由はひとつもないし。
だいたい同じ目が見える世界にいて、同じものを目にしても、見え方は人それぞれで違ったりして、その場合だって、ある意味尺度の違う世界に生きてるとも言える。


目が見えないということは、

“何かが欠けてるわけではない”

と現実の話として知れて、すごく興味深かった。
ちなみに、停電があって、目の見える人間が暗闇で困っているときに、
目が見えない人は、ふだん通り何事もなく、行動できるそうです。


+
先々週、京大の吉田講堂でのブラジル音楽イベントにて撮影。
たまたまカメラを持っていて、めちゃかっこよくサンバのステップ踏んでるヒトたちの足元撮りました。
この画像は、ある意味“カメラの眼”。人間の眼で見ていたら、こんな鮮やかな紫の影は見えなかった。
Braziliann02

Braziliann03

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2007.04.10

友人の日記から

Sakura02
自分(私)を友達として選んでくれたことに喜びを感じるような人が、シアワセなことに私には何人かいる。
その人の日記に素敵な、でもいい意味で重い言葉があったので、ここに載せます。
彼女も素敵な友人から貰った言葉とのことだ。

「人って誰でも、光と影をもっており、そのどの部分と出会うかは本人の波動であり、
自分が選択しているということです。
だから、人を責めたり、周りの評価を気にしたりするのは意味がないと思っています。
他人の中に見えているのは、自分が持っている影に共鳴する部分であり、
どういうご縁が周りに訪れるかは、自己責任なのです。
大切なことは、自分が自分に正直であること! 
ご縁があって頼りにされたら、喜んで働くこと、そして、結果や見返りを求めないことです。」

これを読んで、いろいろ思うところあり。
私は情熱をもっている、前向きなで心がピュアな人にどうしようもなく惹かれるのだけど、
それは、自分がこうありたいというの光(陽)の部分をその人にみているのだろうな。
逆に、影(負)のエネルギーの強い人には、めっぽう弱いかもしれない。
自分(私)の影の部分が投影されていることを目の当たりにして、ダメージを受けてしまうのだろうな。

自分が他の人からに見たらどう映っているかとか、まったく気にならないというほど、肝は座ってないけど、
だからといって、良く見せることができるほど、自分を思うがままにコントロールする器用さが無いことも知っている。
結局、正直にやってくだけかなあ。
その勇気が萎えませんように。

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