#011 木のスプーンづくりの風景
| コメント (0) | トラックバック (0)

おおらかな書から艶やかな文字まで豊かに表現する書家・石井奈央香氏 http://www.naokoishii.com/
彼女のHPのトップの“ぽたり 赤いやつが 水の上に 落ちた”は、“鳥”とは異なる妖しく艶やかな書。
| コメント (0) | トラックバック (0)
おとといは、錦市場ちかくの食べ物屋さんで、店の風景や料理を撮影した。
この日は、最近使い始めた新しいレンズを使う。単焦点(ズームなし)で、F1.4というとても明るいレンズ。
人を入れてその場の雰囲気を撮るという場合には、自分の位置どりさえ決めてしまえば、かえってズーム機能がないほうが、潔く構図を決めれていい瞬間を捉えられるように思う。
人と人とのいい瞬間を撮るって、本当に難しいなあと思うのだけど、あまり構えずに、とにかくシャッター切っていると、だんだん自分が乗ってくるというか、そこの場所での納めるべき瞬間がつかめてくるように、最近思ってる。
そして、お料理。
日本のお料理で、色が繊細だし、調理であまり油やみりんを使ってないものは艶も少ない。
素材の微妙な色と透明感、艶、影が強すぎない立体感を表現するのが大事かなと思う。
それから、お料理をその場で実際に食べるときは、お料理の香りとか、温かさとか、お店の賑わいとか、視覚的な情報以外にも、美味しさを感じさせてくれるものがある。でも、写真にそれら全部を納めることは難しいから、そのあたりも補ってくれるよう、視覚だけでパンチを与えるくらいに撮る必要があるなあと、改めて思う。

その日の歩いた錦市場。平日だというのに、とっても人が多かった。いつ行っても、ここの通りは、美味しそうで、盛りつけなんかもキレイなところが多くて、いつも目移りしてしまいます。
| コメント (0) | トラックバック (0)
先日、京の表現塾のホームページの画像のために、お題(笑)をもらった。
「和のイメージ画像を用意してください。(風景とか)」
前に撮影したものでもよいということなので、
手持ちのもので何かあるだろうと思っていたんだけど、あらためて
「和って???」
と、思ってしまった。ネット辞書で調べてみたら、和とは、倭とも書くとのこと、知らなかった。
辞書によれば、「中国・朝鮮で用いられた日本の古称。また、日本の自称。」、日本そのもののこと。
私に求められてるものは、和といっても、京都のものだろう。
この前知人に、「京都の建築とは、数寄、(極端にいえば)インテリア」というようなことを聞いた。これは、主に奈良時代の建築に対してのコメントだけれど。表現塾のメンバーが、創り出しているものも、主にインテリアで使うものばかり、そうかと思って、その日はまず茶室や書院のあるお寺に出掛けることにした。
出掛けるまで、そしてお寺についてからも、自分の中の「和」とは何だろうと、ぐるぐる考える。
頭に浮かぶのは、京都に来たばかりのころに見倒した、お寺(堂、書院、茶室、庭)の数々と、そして月並みだけど、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」のイメージ。
生活に根付いた、きちんとした和って、案外知らないなあ、と気付く。
もっと京都探検しようと、と思う。
| コメント (0) | トラックバック (0)

安曇野のちひろ美術館にて。クジラのような雲とちいさな女の子。
ごく最近知り合いのなった方の日記で、著名な建築家の言葉をみつける。
「頼まれもしないのに絵を描く仕事を一杯しておけば、見つけてくれる人がいる。
大事なのはやるからには手を掛けて徹底的にやる。
無駄になるかもしれないが、頭、手、足を懸命に動かして備えを怠らない。」
私が、この言葉に反応したのは、先日知人と会ったときに、
自分の会いたい人にもっと会いにいく必要がある
と、思ったのと同時に、その時に自分の仕事の何かを持参するべきだと、思ったから。その自分の仕事とは私の場合、過去仕事では量が少ないから、これから作る必要がある。
それから、この“頼まれもしないのにする仕事”という言葉は、このブログでよく登場する“自分の仕事をつくる”という本にも、取り上げられている。
その章の結びには、
…要は、仕事の起点がどこにあるか、にある。
私たちはなぜ、誰のために働くのか。そしてどう働くのか。
「頼まれもしないのにする仕事」には、そのヒントが含まれていると思う。
私が今日思ったのは、頼まれもしないのにする仕事とは、自分自身(あるいはその一部)であるのだろう、ということ。
| コメント (4) | トラックバック (0)
昨日は大阪で、経営者の知人に会い、彼女の最近の活動についていろいろ尋ねる。
活きた情報を、丁寧にそしてざっくばらんに聞かせてもらって、本当に勉強になった。
自社の顧客はどこに存在するか、そしてそこにどうアピールしていくか、などの話になる。自分の顧客が、大きな市場の中でピンポイントに存在する場合、どう営業していけばいいのだろうか、(多分永遠に)難しいテーマ。
経営者は誰もが判ってる方法の一つである、「自社のファンをつくること」については、怠らず地道にやっていこうというかんじの話になる。
ここでも、
“自社商品のファンをつくる”のか、
“自社のファンをつくる”のか、
という話題になる。
自社のファンとは、小さい会社の場合、“経営者”といったらいいだろうか。
顧客がどちらもファンになってくれれば、もちろん良いのだけど。
彼女からは、たくさんのお話しを聞き、私の方は写真を見せる。
もっともっと作品をつくる必要を感じる。建築写真は難しいとあらためて実感。
せっかく大阪に来たので、NMAOに寄って杉本博司の展示を観る。
点数は少な目だったけど、好きな“数学的形体”シリーズの現物をはじめて見たので、結構感激する。
数式を表現する(たぶん)石膏の立体は、巨大なサイズに引き延ばされ、質感はしっかり描写されて存在感は充分なのに、あまり立体感を感じないのが面白い。
展示空間も、ほの暗くたっぷりとした空間に、静かに置かれていて、気持ちよかったです。
ついでにベルギー王立美術館展も観る。(本当こちらの方がメインの企画展です。)最近“オランダの光”というDVDを観てオランダの光、オランダの空が見たい、もしかして今回それに近いものが見られるかな、と期待していたのだけど、そういう空や光は無かったように思う。残念。今回の作家は、オランダの湖畔から遠いところで描いていた人達だったのだろうな。
様々なる祖型 杉本博司 新収蔵作品展
070407-070624 NMAO国立国際美術館
| コメント (0) | トラックバック (0)
parammmが写真撮影のお手伝いをしている京の表現塾が住生活情報マガジン“余はく”の創刊号の特集に掲載されました。
特集のタイトルは
「京都の美に遊ぶ」
伝統技術を活かした、新たな挑戦が京都から始まってます。
匠の技が創り出す「美」を、心の余白に取り入れてみては…。
と、いうもの。
京の表現塾(サロン)は、各工芸の組合青年部を横断的にまとめた京都最大の工芸組織。現在の構成は、京うちわ、絞り染め、鍛金・彫金、くみひも、表具、砥石、扇子、金襴裂地、和本、木工藝、陶芸等々。高い技術をもち、京都工芸のブランドとして守るべき一線は守りながら、現代生活に活きるものとして、使う人(消費者)を念頭に置いたものづくりし、手元に届けたいとしている。
直近の活動は、著名なテーブルディネーターの方を迎えて新宿伊勢丹での催事「日本の意匠 和のこころ」でした。予定では、5月中には、京の表現塾HPもアップされます。
今回この冊子に掲載された京の表現塾の写真は、表紙を含め全てparammmが撮影しました。

| コメント (4) | トラックバック (0)

上は、美山町の素敵な茅葺き家屋にての、陶芸家・梅棹マヤオ氏の作品展のDM。
デザインはStudio Mano、写真はparammmによるものです。
Studio Mano(スタジオ・マーノ)
http://www.studiomano.com/
陶芸家・梅棹マヤオ氏のスタジオ、studio fire and fibre
http://www.umesao.com/
作品展会場の厨房ゆるり。
http://youluly.umesao.com/
茅葺き家屋の素敵な空間です。美山の旬のお料理も楽しめます。↓
| コメント (0) | トラックバック (0)
京都の堺町画廊での ぽちてっくスプーン教室 に参加してきました。
自分の手でものをつくるって、本当に楽しい!
そして、本日ちょっと筋肉痛(笑)。
スプーンづくり体験、追って日記にアップします。
また、この堺町画廊で ぽちてっくてんその5 が開催中。
素敵な空間にLovelyなぽちてっくさんの家具が、展示されています。4/30(月)まで。
| コメント (2) | トラックバック (0)
フェアトレードのコンセプトをベースに、メキシコの素材(シルバー・テキスタイル)を活かしたアパレル雑貨企画&輸入販売を行う友人の“Trensa”が、最近発売の女性誌マリ・クレールで紹介されました。
友人が起業したのはつい最近のことですが、メキシコへの思いは、とても長く、そして熱い!!!です。
ご興味のある方は、本屋さんで今月4月23日発売のマリ・クレールをごらんください。
marie claire 6月号
掲載場所はP76からの「プラネット・ウーマンの起業のすすめ」というコーナー。
Trensaの掲載はP81。
発売日の友人のBlog
my lovely mexico *「トレンサの活動が女性誌で紹介されました」
そしてTrensaのホームページもリニューアルしました。
http://trensa.net/
私も微力ながら彼女のお手伝いをしたいと思っています。

メキシコ、プエブラ近郊で。日射しを避けて、大きな樹の下に集まるひとたち。物売りのおばちゃん等等。
| コメント (0) | トラックバック (1)
“自分の仕事をつくる”
という本は、ふと本をひらいて拾い読みするたびに、“なるほどー”と思う言葉がつまってるな、と思う本。
自分で仕事をはじめてから特に。
今日ひっかかった言葉は、ヨーガンレールという著名なデザイナーの言葉。(インタビュー中のもの)
「自分の職業が何であるか、そういうことはあまり気にしません。
私は、モノをつくってるというだけでいいです(笑)。」
というもの。
いいなあと思う、けど、仕事って従来のカテゴリーにはまってるほうが、
何をやっている人かわかりやすいし、お客さんも、それに対する報酬も払いやすい。
つくる時は、この言葉のようにつくりたい。本来は、カテゴリーありきで、ものづくりを始めるわけではないし。
でもそれで報酬を得るなら、つくるものが、ある程度ほかの人にもわかりやすくて、だれかに必要とされないと。
最近、空間づくりと写真を撮ること両者について、考えてます。
| コメント (0) | トラックバック (0)
今日は書きたいことが幾つかあるけど、まずは前に書いた“ものづくりは気持ちのカタチ”のこと。
先週日曜日の友人宅でのお酒を飲む会が、持ち寄りだったので私も二品ほど作っていってみた。
“自分の食べたいもの”を。
だって、自分が食べたくなければ、他の人にとっても美味しいものにならない気がするんです(笑)。
基本的に日本酒のお伴の予定だったので、作ったのは、イワシの梅干し煮と、青豆ごはんのおにぎり。
イワシの梅干し煮は実家にいたときからの好物。(母のはショウガ入り)圧力鍋で炊いて、骨ごと食べれるように。
青豆ごはんは、最近食べたかったので。
塩と酒で、お米と炊きました。おにぎりの中身は、お豆とぶつかんない程度、と思って、昆布とシャケの2種。
あと、青菜のゆでて花かつおをかけたもの。お醤油かけて、とその場でいうのを忘れてしまった(笑)
私のは、こんな感じ。
この日は、他の友人の持ち寄りと、その場で料理してもらったもので、テーブルがいっぱいになって、だいたいで決めた宴なのに豪華になった。別に集まりのテーマは何もなかったけど、美味しい料理と、肩のこらないお喋りで、リラックスした休日の夜となりました。ちなみに、先の記事にかいた、モノをちゃっちゃとつくる友人は蒸しパンをつくってきてました!
…いいなあ、蒸しパンをさっさと作れるなんて…。
今日になって、一緒にいった友人から、
「鰯の梅煮もおにぎりも美味しかったです。また作ってください!」
とメールをもらった。
ものをつくって喜んでもらえるのは、素直に嬉しい。ご飯でも何でも。
なんだか、自分のちょっとした気持ちが伝わったようで。
「また、作ってください!」っていい言葉だなあ。
+
昨日京都御所を通ったら、サクラが今まさに満開のエリアがあったのでびっくりしました。
南西の八重サクラのエリア。(写真のサクラは美山町です)

| コメント (0) | トラックバック (0)
さっさとモノをつくる人に憧れる。
友達で器用な人がいて、ちゃちゃっと、服を縫ったり、おやつを自分で手づくりしたり。
彼女の家で、ホットケーキミックスから作ったんじゃないホットケーキをごちそうになった時は、かなり嬉しかった。
この前は、花見の席にいったら、手づくりのパウンドケーキがでてきて、
「こういうのって、いいなあ、いいなあ。」
と内心感激していた。
すごいのは、友達んちのロフトへ上がる梯子をつくった友達の彼氏。
彼女の部屋のロフトへ上がる階段(折りたたみ式)が、上げ下ろしが面倒なのを見て作ってくれたんだったと思う。だいたいの寸法を測っていって、神奈川県の自宅でパーツをつくり、京都に住む彼女のアパートのロフトに梯子を掛けてしまった。(パーツはどうやって運んだんだろう???)
こんなことって、建築家でできる人はたぶんいないだろうな(笑)。
さっさとこういうことが出来ていいなあと羨ましく思うのは、
「このひとにこれを食べさせたい!」
とか、
「このひとにはこれを贈りたい!」
と、気持ちが一番高まってるときに、それが出来ること。
ものを作るときの基本って、そこにあるような気がするなと、ふと思いました。
私の場合、写真がそれに近いかな。友達の結婚式の写真係の時に、友達の姪っ子の写真をちょっと作り込んで渡したときに、気に入ってもらえたのがとても嬉しかった。
あと食べ物なら、おにぎりなら出せるかな…。
| コメント (0) | トラックバック (0)
ひょっとしてひょっとしたら、引越するかもしれません(自宅)。京都市内からは出ませんが。
そして、ただ今すごく面白いことに、その引越先の大家さんへの自分紹介文を求められている。
大家さんは遠方にお住まいなので、文面で「面接」ということなんです。
こういう場合、私ってどんな人だと説明したらいいのだろうか考えていて、
このブログとは別に書いている“地球アパートメント”というブログに
自分のプロフィールを載せていたことを思い出した。
ここで書いているのは、私の今迄の旅行歴と今住んでる京都へ辿り着くまでの履歴。
これに、シゴトの履歴を加えたら、パブリックな場での私のおおよその説明になるかなと考えた。
こちらのブログのプロフィールもアップデートしてみようと思います。これから2、3日のうちに。
もし、大家さんがインターネットに慣れ親しんでいる方だったら、このブログがそのまま自己紹介にもなり得るところ。
前に“はてな”の近藤淳也氏の著書で、はてなの新入スタッフ面接はそのひとの書いているブログも主要な判断材料を読んだことがある。ネット上の人格として見るのだそうだ。“はてな”はネット上で生きている会社だからそれが大事なのだと。
前に行っていた起業塾では、こんな話をきいた。例えばブログを1年くらい書いていたら、そこではその人のある部分(全部では無いだろうが)が、正直に表現されていることになるだろうと。その1年自分を偽り続けることは到底無理ということで。
私の友達は、ブログのサブタイトルが時期を追って何回も変えているのけど、そこに彼女のその時期のキモチが現れているよう見え、変わるごとに「なるほど、そう来たか。」と、観察している。
確かブログのタイトルも当初とは変えている。
彼女が、季節や成長にあわせて着替えているように見えてとても面白い。
+
先日訪れた、美山町の茅葺き小美術館。
茅葺きの小屋組スペースが面白い。
5月までは絵画と木彫作品の展示。

| コメント (0) | トラックバック (0)
黄色く浮かび上がっているのは、菜の花。出町柳デルタ付近。
先週の話になるけど、さる雑誌に掲載される商品の写真撮影を見学する機会に恵まれた。
要するに、実績のあるプロのカメラマンさんの仕事をじっくり見ることが出来たのですー。
私も撮ったことのある、まさに同じものを撮影していたので、見学していて「なるほど〜、そうすればいいんだ〜」の連続でした。
職業柄、建築の竣工写真撮影の現場には立ち会ったことはあるけど、商品撮影は実は初めてでした。
そのカメラマンの方はフィルムカメラだったし機材やセットも比べ物になりませんが、かなり実際的な参考になった!
特に参考になったのは、光のつくり方。別置きのフラッシュ(投光器のような)を使用されていて、それそのものは同じことはできないにしても、反射板の置き方とかトレペでの柔らかいひかりのつくり方(配置)とか、フィルターの使い方とか、まず大収穫。プロがこうしていると判ったらそれを知ってる上で、自分はどう撮るか、少ない機材でどう対策を練るか、決めればいい。到達点(ある解答)が把握できて嬉しかった。
そういう機材的なテクニックの他で、おどろいたことが2つあった。
それは、アングルを決めるのがとにかく早いということ。
サッカーじゃないけど、“決定力がある”というのかなあ。
ポラロイドで試し取りを見せて頂いたので、だいたいどんな構図がわかっているのだけど、
いい意味ですごくオーソドックスに決めていた。(雑誌でのレイアウトもきっちり決まっていたこともある、たぶん。)
オーソドックスにきれいに撮るということに、ガチンコで勝負して、それも短時間でさっさと位置取りしていた。
その決定力が、すごいなと思った。それで、いいと思えることに。
私もたくさんたくさん経験を積んだら、そうなれるのだろうか…。
あとは、ピントがオートフォーカスじゃなかったこと。私にとっては意外でした。
たぶんオートフォーカスも出来るカメラだと思われるのだけど、手動でピント決めてました。
本当にここ1点だけにピントを合わせたいというときは、手動でやった方がいいのかな、などと(あくまで)推測。
この日は、いろいろな照明下での撮影やら、商品そして動く人(その商品の制作風景)の撮影やらを見学して、あたま飽和状態。
ああ、ほんとに面白かった。
| コメント (0) | トラックバック (0)
前に美山町で撮影したものを、仕事を頼んでくれた友人に先週末見せて必要なものを選定してもらう。
今回はある小美術館のパンフレットづくりの素材として使われるのだけど、そのパンフレットをデザインする彼の選んだものを見て、
「なるほどー、こういう絵を素材として使うんだ!」
と、改めて新鮮なものがあった。
前にも別の仕事で、彼に画像を使ってもらったことがあり、それと合わせて感じたことは、
施設のパンフレットに使うのだから、その空間の説明であると同時に、
ちょっとした視点(空間の見方)の面白さがわかるようなものが撮れたらいいな、と思った。
後でどう使ってもらうかもある程度イメージしながらも、新鮮な眺めといったものが見せれたらいいな。
そんなものがたくさん撮れるように、現場でもっともっとテンションをあげたい。
今回は曇天のもとでの撮影だったので、それに対してどうイメージをつくるかとか、どんな実際のテクニックが必要とか、それから後の画像加工なども、知れて勉強になりました。
仕事をくれる友人たちに育てられている、とつくづく感じるこの頃。
とてもありがたいことです。
| コメント (2) | トラックバック (0)
彼がボランティアで全く目が見えない方(話の流れからするとおそらく産まれた時から)の方のショッピングに同行した時のこと。
その方が、服を選ぶ時に、この“色”は似合う、似合わない、と、はっきりと口にしていたという。
例えば「この赤は、私に似合う」等々。
目は見えないはずで、しかも産まれた時から、である。
学生がいうには、手触りなどから、その人の尺度の“色”があるのではないかとのことだ。
と、いうことはおそらく私たちとは全く違う尺度の色の世界というものが、頭の中に存在しているということだ。
そして、それが否定される理由はひとつもないし。
だいたい同じ目が見える世界にいて、同じものを目にしても、見え方は人それぞれで違ったりして、その場合だって、ある意味尺度の違う世界に生きてるとも言える。
目が見えないということは、
“何かが欠けてるわけではない”
と現実の話として知れて、すごく興味深かった。
ちなみに、停電があって、目の見える人間が暗闇で困っているときに、
目が見えない人は、ふだん通り何事もなく、行動できるそうです。
+
先々週、京大の吉田講堂でのブラジル音楽イベントにて撮影。
たまたまカメラを持っていて、めちゃかっこよくサンバのステップ踏んでるヒトたちの足元撮りました。
この画像は、ある意味“カメラの眼”。人間の眼で見ていたら、こんな鮮やかな紫の影は見えなかった。

| コメント (1) | トラックバック (0)

自分(私)を友達として選んでくれたことに喜びを感じるような人が、シアワセなことに私には何人かいる。
その人の日記に素敵な、でもいい意味で重い言葉があったので、ここに載せます。
彼女も素敵な友人から貰った言葉とのことだ。
「人って誰でも、光と影をもっており、そのどの部分と出会うかは本人の波動であり、
自分が選択しているということです。
だから、人を責めたり、周りの評価を気にしたりするのは意味がないと思っています。
他人の中に見えているのは、自分が持っている影に共鳴する部分であり、
どういうご縁が周りに訪れるかは、自己責任なのです。
大切なことは、自分が自分に正直であること!
ご縁があって頼りにされたら、喜んで働くこと、そして、結果や見返りを求めないことです。」
これを読んで、いろいろ思うところあり。
私は情熱をもっている、前向きなで心がピュアな人にどうしようもなく惹かれるのだけど、
それは、自分がこうありたいというの光(陽)の部分をその人にみているのだろうな。
逆に、影(負)のエネルギーの強い人には、めっぽう弱いかもしれない。
自分(私)の影の部分が投影されていることを目の当たりにして、ダメージを受けてしまうのだろうな。
自分が他の人からに見たらどう映っているかとか、まったく気にならないというほど、肝は座ってないけど、
だからといって、良く見せることができるほど、自分を思うがままにコントロールする器用さが無いことも知っている。
結局、正直にやってくだけかなあ。
その勇気が萎えませんように。
| コメント (0) | トラックバック (0)

土曜日は京都の美山町宮島というエリアに出掛ける。
友人がデザインするパンフレットの素材のための写真撮影。
この仕事の私の受け持ち部分のおもしろいところは、1年通して4回ほど撮影し、四季折々の風景を納めるということ。今回は、もちろん桜。
この日は朝は天気がよくなるかと思えたのだけど、途中で雨がパラパラきたりしたので少し焦る。
桜のある風景はなんとか納めましたけど、反省も多々あり。
予報をみて天気が良くなると踏んでいたので、雨の対策をしていかなかったこととか、
天気とは関係ないけど、茅葺き屋根の家屋のギャラリー(屋根裏)の照明環境が撮影するのに難しかったこと。
また、できれば適度に人が入ってる風景(活きてる感じ)を撮ってくれればと、要望があったけど、そのシャッターのタイミングが難しかった。これについては、“やらせ”のような風景をとっては意味が無いけど、
ある程度自分の中でのイメージも必要だと感じる。
特に屋根裏のギャラリーの方は、絵の展示風景わかるようにしながらも、茅葺き屋根の構造や茅の素材感、破風から差し込む光の感じを、目に見えるそのまま撮りたかったので、その場で既存の照明の付け方を何パターンか試す。そして絵の額縁のガラスが反射するので、そうならないように確認しながら撮る。
それで小さな空間なのに、かなり時間を要する。出来るならば、事前に照明の状態をヒアリング要…。
今回の場合は、パンフレットの素材なので押さえておくべき風景がある程度決まっていたのだけど、それを自分が面白いと思う視点で、
「ワクワクしながら撮りつづけるということ」
は気持の上で訓練がいるなと思った。
ある程度のノルマはきちんと押さえながらも、遊ぶということ。
それ以上表現するものを撮るということ。
あたりまえだけど、これ!と思えるまで根気も必要…。
当初の予定の場所で撮影を終えたら、美山町の桜の名所もちょうどよく咲いてるからと、そちらにも寄る。
こちらで、何枚か撮っているうちに、かなりリラックスしてきて、とても面白い風景を見つける。
花びらではなく、5枚花弁がしっかりついた桜の花が落ちてくるので、「?」と思って見上げたら、
小さな鳥が桜に停まって、花をついばんで蜜を吸っては、くちばしから離して落としているのだった。
結構な早さで吸っては落とし、吸っては落としで、花が降ってきてるみたいでした。
次の美山での撮影はおそらく5月、新緑の頃です。
| コメント (0) | トラックバック (0)
最近は4月からはじまる授業の準備をしていますが、一方ちょこちょこ写真を作ってます。
昨日ワーク↓
クリックして拡大してみてください。現物より大きくなります(笑)。

個性的なデザインのサンゴのチョーカー。真っ赤な珊瑚。
このジュエリーのブランドは“INTINI”。
ミラノから、日本上陸。
4月11日から24日の期間中、神戸大丸の1階アクセサリー売り場で、展示販売されます。
SHOW at Kobe Daimaru
| コメント (0) | トラックバック (0)
少し前に映画の“かもめ食堂”を観た。
印象に残ったのは、透明感のある陽の光の色と、
本当に何度もでてくる俳優の小林聡美がコーヒーをいれるシーン。
具体的にいうと、コーヒーの方は、
「1日何十回となく手でいれるコーヒーが、お客さんに美味しい!と満足してもらえる」
という出来事自体が、気になった。
自分も毎朝、そしてトモダチが家に来た時なんかは、
コーヒーメーカーではなく、手でコーヒーをいれるのだけど、
コンスタントに美味しくいれるのって、なかなか難しいなと感じている。
毎朝の自分の分はともかくとして、豆の種類とか、お湯の加減とか、人数とかで、微妙に調節するのがうまくいかなかったり。
トモダチにいれる時などは、ちょっと緊張して余計、失敗したりして(笑)。
お客さんに美味しいコーヒーを入れるという、ごくシンプルに見える行為を
百発百中で出来るということは、お商売とはいえ、すごいなあと。
そして、自分の仕事のことを省みたりしました。
自分の仕事で、それは具体的に何に当たるかは、……いろいろあるかな。

+
最近やっとブラウンのコーヒーミル入手。
挽きたてのコーヒーの粉はお湯をそそぐと本当によく膨らんで嬉しい。
挽きたて豆での煎れ方、練習中。
| コメント (2) | トラックバック (1)

京都は今、一番美しい時期。個人的には、紅葉の季節より桜の頃の方が美しいと思う。
やっぱり春を待ちわびていたという心境があるからだろうか。
先週末は、知り合いの方の着物の展示を観に行く。
ここでも桜づくし。着物の柄、帯、半襟に桜が咲いてました。↑の画像はそのひとつ。
そして御所の桜。もう散りかけているのもあります。

月曜日は仕事帰り、友人と二条城の夜桜を。
二条城はほんとうに久しぶり。北野天満宮の梅のように、いろんな種類の桜があって面白かった。いろんな桜の匂いを嗅いでみるが、薫るものとそうでないものがある。薫るものは、桜餅のにおい(笑)。

桜のトンネルの下を歩き、そこを抜けると円山公園の桜より大きいんじゃないかというくらいの、しだれ桜に遭遇。

自分は何にもしていないのに美しいものが観れて、ほんとに贅沢な季節だと思う。
春に感謝。
| コメント (0) | トラックバック (0)
表紙に惹かれて、手に取った雑誌を開いてみたら、
表紙の佇まいを裏切らず、どちらかというとそれ以上の、紙面があった。
じっくり眺めたくなったので、創刊号を買ってみた。
(創刊号は昨年の6月であるから、すでに目にしている人もあるかもしれません。)
その雑誌、まだざっとしか目を通して無いけれど、
はっとするような言葉が幾つかあったので、拾いだしてみました。
生活が冒険になるデザイン
線をひいているときがある…。
なにかがいとおしくなったり、小さな光景を思い出したり、ときには不測の事態に陥ったとき。
それは、文字とも絵ともいえないものだ。
線のいるところは、「言葉」になりにくい言葉たちと、
「言葉」になりたい言葉たちと両方いる、へんなところかもしれない。
彼岸も此岸も、過去も現在もいっしょくたのような。
美しさは役に立つから美しいのではなく
美しいから役にたつ
生活の荒廃は、美意識の喪失から始まるのではないか。…(中略)
生活の時間、生活の空間そのものがなくなっている。
生活がなくなったのは、人と人、人ともの、ものとものをつなげる美意識がなくなったからだ。
つまりここでは、デザインとは生きる意思の別名となるだろう。
(“ここ”とは、この場面では、この雑誌のこと。)
昨今の「効率」はもちろん大事だ。
でも人生は、消費だけで埋め尽くされた生の時間ではない。
(雑誌 graphic/design より)
これから、この言葉たちを頭のなかでちょっと反芻してみます。
そして、この雑誌のたたずまいが、
「美しいものってなんだろう、もっと美しいものを見てみたい」
と、日々考えている友人がつくった小さな雑誌の雰囲気と
共通したものが在るとしばらくしてから気づいて、
興味深い偶然(必然?)だなあと、思いました。
| コメント (0) | トラックバック (0)
昨日は、4月から始まる専門学校の新任講師向け研修会・懇親会に出席。
そこで、学園長みずからによる
「専門学校とは」「我々の専門学校について」
による小1時間(!)程の講演があった。
去年から一つの講義を受け持っているが、この講演を聞くのは初めて。
話しっぷりからして、とにかくエネルギッシュでメッセージが明確、
でも押しつけがましくなく(謙虚という語が合うだろうか)、
そして長い講演だったが、スピーチ・パフォーマンスとでもいえそうな、
熱意、抑揚のある話し方・うなづき・ステージの上で歩き・時折白板への書き込みで、
集中力途切れることなく、最初から最後まで聞ききってしまった。
その学園長のそれを聞いて納得したのは、昨年接した学生の授業への態度と礼儀ただしさ。
ここで文章で書くと真っ当過ぎて、陳腐に聞こえるのでごく手短かにかくと、
仕事疲れ(?)で寝ている学生も時たまいるが、基本的には目的意識をもってきちんと講義を聞くという感じ。
そして専任の先生方もきびきびしていて、スタッフルームはいつも明るいのでした。
昨日の学園長の講演(メッセージ)、そして人となりを見て、なんだか納得。
そして、学園長も会社の社長と同じ、ということに気付く。
+
記事とは関係ないですけど、本日のワークです。
先日撮影したAILAのジュエリー。デザイナーはDaniera de Marchi。
彼女のブランドのHPもとても素敵です。
| コメント (0) | トラックバック (0)
実は、前々から風呂敷を上手に使って出勤することに憧れていました。
風呂敷とか手ぬぐいとかの布の柄が好きなのと、行きは荷物をくるんでいって、帰りは荷物が無い時、畳んですっきり帰れるというのが、なんともかっこよく思えたから(笑)。
先日、写真を撮りに行った時に、三脚と背景に使う大きな紙を巻いていれた筒を入れるちょうどよいバッグがなかったので、適当に風呂敷で包んでいったら持ち運びやすかったのに味をしめて、今日も風呂敷で出勤してみました。
行きは箱ものをこんなふうに包んで。(さすがにお財布は、小さな別のカバンにいれています。)

実は風呂敷歴は長いのです。旅での服のパッキングには、昔から風呂敷を使ってました。ぎゅっと縛れるから、服のかさばりも押さえられるので。でも、あまり普段使いにはしていませんでした。
色々な包み方を勉強して、行きは風呂敷で荷物をさげていっても・帰りは“手ぶら”、あるいは逆の、買い物行くのに、行きは手ぶら・帰りは風呂敷でパッキングが理想です。
買い物袋を貰わないでいけたら、エコにもなるかな。
| コメント (0) | トラックバック (0)

先月行った天婦羅屋のかき揚げ丼。美味しそうに撮れてます?(笑)
先週訪問した先で京料理の弁当を頂いた。
美しい盛りつけに、「カメラに撮ろ!」と興奮したのだけど、なんというか、やはり料理を撮るのは難しい、とファインダーをのぞいた瞬間ゲンナリ。目の前にあるものは、美味しそうなのに、ファインダーから見える画像は、いたって平凡。カメラの電池がきれてたこともあって、その時はカメラのおさめなかった。
照明テクニックの本で、洋食、中華、日本料理、どれも(一般的に)適している照明が違うというのを読んだことがある。それはどんな材料をつかっているかで、美味しそうに見える照明が異なるというものだった。
少しうろ覚えであるが、そこで説明されていたものは、
日本料理は、繊細な素材の色(たとえば刺身とか)が忠実に見えて、細かいディテールまでつぶさず表現できる白色の間接照明、
洋食は、ハイライトと影がしっかりついて、立体感を表現できドラマチックにみえるような(肉料理とか)白熱灯のスポットライト、
中華料理は、たっぷり使われた油の光沢がキラキラと美しく見えるような、シャンデリアのような照明、
というもの(だったと思う)。たぶん、これはごくごく一般的な考え方で、お店のコンセプトによっては必ずしもこういう方法をとって無いとおもいますが。
この日は天気が悪くて和素材の色が青みがかってたので、ファインダー越しのお弁当が余計美味しそうに見えなかったのかも?
画像は味まで写せない。美味しく撮るってムズカシイです。

トップの画像と同じく先月訪れた東山の天婦羅屋のランチメニュー。
こちらは天茶。揚げたて天ぷらに熱いお茶を注いでもらいます。
天茶と天丼(かき揚げ丼)では、天ぷらの素材が違いました。天茶の方はサーモンとか入っていました。
私が食べた天丼の方では、エビはもちろんのこと、トウモロコシの天ぷらが入って新鮮でした。天丼のタレは甘辛くておそらく唐辛子がつけてある醤油を使ってあったのでは、と思いました。甘辛い中にも少しぴりっとした感じあり。これがトウモロコシやカボチャの甘さとあうんだなー。
| コメント (0) | トラックバック (1)
同じチャレンジオフィスに入居する、ハングル講座・通訳をするミリネ・河(ハ)先生のハングル講座が4月から京都ウィングスでもスタートします。今迄は、基本的に京都駅南の京都テルサでのレッスンでしたが、もう少しアクセスのよい、京都ウィングスでも講座を開催するとのこと。
河(ハ)先生のレッスンの持ち味は、なんといってもアットホームな雰囲気。レッスンをしている横を通るたびに、いつもなごやかで皆が楽しんでいる雰囲気を感じています。
京都ウィングスでのレッスンも少人数制。楽しんで韓国の言葉と文化に触れたい人に、おすすめです。
ミリネのハングル講座インフォメーション
京都ウィングスは東洞院六角下ル、です。
| コメント (0) | トラックバック (0)
金曜日に、知人のあつかうジュエリーの撮影をしてきました。貴石(自然物)を撮るって難しそうだなと思い、2週間くらい前に一度試し取りさせてもらい、自分なりに対策をたてて、再度のぞんだ、という感じ。
撮り方は少し迷ったけど、試し取りの画像を見て「自然光のもとで、撮ったものがいいな」と言ったそのジュエリーを扱う知人の言葉に導かれて、自然光でなるべくシンプルに撮ることにしました。そしてやはり身につけた状態で撮るのがいいなと思い、ショールームにあったトルソに着せて。
撮ったジュエリーは、素材やフォルムがそれぞれ特徴的なものを選んで、ブランドのコンセプトそのものを表現しているようなものから、個人的に私がすごく気に入ったもの(自分に似合うかどうかは別)を数点。
ここで、その日の発見。
写真を撮るのも神経を使うが、そのジュエリーが際立つようトルソに着せることは、簡単ではない!
服に着こなし方があるように、ジュエリーも美しくみえるように着けなければ、きれいに撮れない…。先日の試し取りのように、布の上なんかに置いて撮るほうが易しいように思ったが、ジュエリーってやっぱり身につけるものだからなあ…、とトルソを前に四苦八苦。先日、バッグの撮影で同じような苦労をしたけど、ここでも着せるのにかなり時間を割きました。
でも、自分が納得いくように着せてしまえば、あとはそのまま美しく見えるように撮ればいい。
好きなジュエリーばかりなので、アップで撮ったり、ひいて撮ったり、コントラストがつくように撮ったり、少し逆光で撮ったり、絞りを空けたり極力絞ったり。自分の気の済むまでたくさん撮りました。
今日はその写真の加工(加工というより、コンピュータで絵をつくってると言いたいところ)をしていましたが、好きなものを撮るということは、カメラに納めるのも楽しいし、そのあと加工も本当に楽しい。
“執着”という言葉が合うほど、好きなモノ(あるいはコト)に接して仕事をしたいと、つくづく思ったのでした。
+
トップの画像は、その撮影したものです。まだ、加工中のものですが。
このジュエリーはINTINIというブランドのコンセプトそのままいっていいデザイン。鮮やかな赤の石はサンゴです。このジュエリーは身につけるというより、もうアート作品ですね。
イタリアン・ジュエリーINTINIは、AILAで取り扱いしています。
| コメント (2) | トラックバック (0)
今年の始め頃、女性起業家コミュニティで知り合った方の縁で、京都の伝統工芸品の写真を撮らせて頂くことになり、現在はその伝統工芸を営む方たちのHP用の画像を用意している。
昨夜は、その伝統工芸を営む方たちの会のあつまりに同席。
私にとっては、この会に関わりを持つようになってからまだ日が浅いので、以前の動向はよく把握していないのだけど、どうやら会が活発に動きはじめているようである。
「今はひたすら発信です。
伝統工芸の認知に有効だと思ったチャンスには、二の足を踏む理由は無い!」
という意を、コンサルタントの方がメンバーの皆に伝えていた。
文化の継承(伝統に固執するというのではなく)、そして継承するために、その高い美意識と技術を求める人々に出会うのを目標に、動きはじめている。
そして
「発信しつづけて、それが上手くいけば(必ず上手くやらなければならないのだけど)、
次にそれに見合う報酬がついてくる。」
とのことだ。
それが2年後なのか、もっと後なのか正直わからない。
昨日は、その意志の再確認、という場があって、それが同席者として印象に残った。
建築設計事務所に勤めていた時は、
「独立して、いっぱしの建築家として認知されるには、少なくとも10年くらいかかる。
その10年が生き残り競争なんだよ。」
ということを、耳にしていた。
1回や2回メディアに露出してもすぐに効果があがるというわけはなく、継続的に露出していかなければ、認知されないということだ。
種蒔いて収穫するまでやはり時間がかかる。
ときおり気が遠くなりそうになります…。
| コメント (0) | トラックバック (0)
最近午前中は自宅で仕事をしている。
というのは、撮影した写真画像をコンピュータで調整したり、プリントアウトして色をみたりするのに、自室の自然光のもとで作業したほうが都合がよいから。
オフィスの人工照明で色が見にくいのである。
これはたぶん間違ってない法則だと思うけど、自然光の下で美しいと思った色は、人工照明の下でも綺麗に見える。だけど不思議なことに逆が成り立つとは限らない。
建設会社のインテリアデザイン部に勤務していた時の上司には、基本はまず自然光のもとで塗装色や素材の色を選定、と教えられました。夜になってしまって、時間が限られてる時はデスクライトの下でもしょうがないけど、ちょっとでも時間あれば次の日にもう一度自然光のもとで確認しなさいとよく言われました。
勤めていたオフィスには自然光がよく入るアトリウムがあり、そこへ塗装見本や仕上げサンプルをかかえていって、色を決めたものでした。
今はそれを自宅でやっているのだけど、自然光で無理なく色がみれるのは午前中から午後3時前くらいまで。
それ以降になると、暗くなってきて光が青みを帯びてきます。(部屋が北向きだから)
充分明るいうちに仕事をするっていうのは、ちょっと農業を営む人になった気分、なんだか気持ちいい。
写真をつくってるのに(笑)。
でも、画家のアトリエもそうだから、そう考えたら自然なことですね。
グラフィックデザイナーとかもこんな感じなんでしょうか。

京都御所では桜が咲き始めてます。御所北西部しだれ桜ゾーンの数本。桃もまだ咲いてます。
| コメント (0) | トラックバック (0)
昨日(正確にいえば今日ですね)、夜に自転車のって、DVDを返しにいきました。車も走ってないような真夜中。
なんだか京都が、知らない街のように思えて、背中がゾクゾクしました。
このゾクゾクは、外国などの全く知らない街に行った時、早朝とか真夜中とかによく感じるもの。
自分が世界のことについて、ほとんど知らない存在で、知る楽しみがいっぱいいっぱいあるという、期待感。
まだまだ冒険できる!という気持ち。
今月末にヘルシンキ経由でイタリア入りする友達から「かもめ食堂よかったよ〜♪」やら、最近観た、ブエノスアイレスのガレリア(商店街)が舞台の映画やら。どこか遠くに誘われているような、気になってきます。
あったかくなってきたので、どこか遠くにったり、何か思いっきり始めたい気分です。

真夜中のバルセロナ、とある交差点。
みんな隅を切ったコーナーに路駐してる…。
| コメント (0) | トラックバック (0)
最近、写真を撮らせてもらう機会(自分でやりたいと手を挙げている)があるのだけど、写真撮影というものは、本業の設計の仕事とは、1つの仕事に関わっている時間がまったく異なってそれがとても面白い。刺激的。
設計の仕事は時間が長くて、モチベーションの持続力というのがとにかく必要なのだけど、写真の方はどちらかというと、短い時間でどれだけ集中力を高めるかが求められるように思う。とにかくその場の一瞬で解決しなくちゃいけない、みたいなところがある。もちろんフィルムだったら紙焼きみたいな作業があるし、デジタルだったらコンピューターで加工したりの時間がもちろんあって、そちらはそちらで根気が必要とされるけど、シャッターを切る“瞬間”というのが一番の山場のように思う。
その異なるスパンのものを同時進行してやってるって、なんか自分の気持のバランスがいいように思えてきている。いままで体験したことない、不思議な感じです。

東山の建仁寺、唐子遊戯図のある間。壁に襖がはめ込まれているのが面白い。
旅行業を営む友人のBlogで祇園散策(建仁寺も)の紹介してます。
ちぇるか日記“京都大人の女性旅”
| コメント (0) | トラックバック (0)
今日も、知人の取材に写真係としてついていく。行き先は、京都で伝統工芸を生業としている老舗。
これで6人の老舗経営者の方に接する機会に恵まれた。面白いことは、それぞれの方のキャラクターがかなり異なるにもかかわらず、口にするポリシーや、今なお試行錯誤を積み重ねていることは同じ。
「本物をつくる」
「物事、長い目でみる。(=目先のことに飛びつかない。)」
どの方からも、それから作られているものからも感じるのはこれ。
工夫が必要かもしれないが、本物がちゃんと生き残る時代になってきていると、私自身は思っている。
老舗といっても経営者の方は40代くらいの方ばかり。この方たちに頑張ってもらわないと、本当に正直なところ日本の伝統文化が無くなってしまうように思う。
| コメント (0) | トラックバック (0)
| ****豊かさって? | ***parammmの仕事 | ***メキシコ滞在時のワーク | **ものづくりの週末講義2006 | **チャレンジオフィスでの出来事 | **メキシコと私 | **起業 | **起業トモダチ | *お気に入りもの。 | *ものづくり | *写真_ものづくりする人 | *写真_アート、デザイン | *写真_インテリア | *写真_スペイン | *写真_メキシコ | *写真_京都の風景 | *写真_日々の風景 | *写真_沖縄 | *美味しいものを食べたい | 住まい・インテリア | 文化・芸術 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき