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2007.01.12

写真から見える“まなざし”

昨年12月、竹中工務店のギャラリーで“都市の記憶”という写真展をみた。
写真家村井修氏は、建築写真の第一人者として徹底した審美眼をもつ人物という印象が強かったのだが、この展覧会のために選ばれ展示された写真は、今迄知らなかった氏の別の一面を表現しているようでとても興味深かった。
1950年代の愛知県半田の人々、日常の風景にむける柔らかなまなざし、こちらまでワクワク感が伝わってくるような美しい海岸線をとらえる航空写真。
これらの写真からファインダーをのぞいている時の気持の高揚感が伝わってきて、これから察するに、きっと私の写真からも撮ってる時の気持ちを見る人にさらしてしまっているのだと、すごくリアルに感じてしまった。
(こう考えると写真を撮って、人に見せるのって少々恥ずかしいものなんですね。)

この体験をして、前から不思議に思っていたことの謎が解けた気がした。
友人が撮るメキシコと私が過去に撮ったメキシコの写真から受ける印象がかなり違って、どう撮ったらこんな風に違ってくるのか不思議だったのだ。
友人のメキシコは、キュートで鮮やかな色彩の中にも爽やかさがあって、どこかしら透明感がある。
一方私の撮るメキシコは、少し土っぽくって、街にみられる色彩は“押し”の強さを感じる。わずかに毒気のあるような鮮やかな色彩。

そう見えているのか、そう捉えたいとおもっているのか、どちらか解らないけど(両者かな)、それぞれのメキシコ観があらわれているのだな、きっと。カメラは現実をそのまま撮っているようで、実は表現の道具なのですね。

Mexico010
parammmの撮ったメキシコ、すごく田舎にあった修道院。


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