2007.06.16

外の人が自分の可能性をみつけてくれる

昨日友達から嬉しい話を聞いた。

「ある機会に合わせて、(作品を)つくってみようかと思っている。」

ということ。
その友達の卒業制作を見たときはアーティストになるのかと思った程、彼女はしっかり芯のあるものを表現していました。だけど、卒業後はいわゆるものづくりとは異なる仕事につき、卒業制作のようなアート(彼女はアートではなく、デザイン行為としてたようだけど)が見れるのは、ずっと先かも、と思っていました。

そうしたら、昨日“その時がきたと思う”と、伝えてくれました。
きっかけは、最近学生時代の友達に久しぶりに会ったということ。
私の友達にとっては、ごく当たり前のように、単なる通過地点のようにつくった作品を、
鮮明に記憶していて“今はつくってないの?”という話になったのだろう。
自分(=彼女)がモノをつくることを待っている人がいる、ということに背中を押された、と友達はいいました。
私は「あの卒業制作のようなものをつくらないの?」とは、最近彼女に言っていないが、
私が何かしら待っていることは感じていて、それも後押しになったとのこと…。
そしてたぶん私のように彼女に期待している人は他にもいるので、それも感じたのだろう。

そんな話をしていて思い出したのは、“自分の仕事をつくる”のLW西村氏の講義中のことば、

“外の人が自分の可能性をみつけてくれる”
です。
自分の出来ることとは、自分では当たり前過ぎて、存外わからないものかもしれない。
実は、私もそんなふうに、人からみつけてもらったことがあります。

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2007.06.05

プロダクティブからの距離

今日、LW(リビングワールド)のサイトを久しぶりに訪れたら、はっとした文章があった。
センスウェアというエッセーで。


昨年末にこのLWの方の講義を受けたときの、

“何かモノをつくることを前提に考えているデザイナーより、
まずモノをつくることが必要かどうかから考えているデザイナーの方が、良い仕事をしている”

という言葉を思い出すが、このエッセーでは、

“プロダクティブであることと、
クリエイティブであることとは、まったく異なることだと思う”

さらには、

“夕陽にこころを奪われている人はなにもつくっていない。
けど、その内面は十分に創造的なのでは?”

と、語られている。

これを読んで気付いたのは、最近カメラという道具を手にすることによって、建築設計だけをやっていたときに気にかかっていたことから、少し開放されバランスがとりやすくなったということ。(あくまで私自身のケースです。)
私にとって写真を撮るということは、プロダクティブよりは、少し軽い。そしてそれは、コミュニケーションの道具ともなり、そのこと自体を求められることもあるのだ。

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2007.04.24

仕事のカテゴリー

“自分の仕事をつくる”
という本は、ふと本をひらいて拾い読みするたびに、“なるほどー”と思う言葉がつまってるな、と思う本。
自分で仕事をはじめてから特に。


今日ひっかかった言葉は、ヨーガンレールという著名なデザイナーの言葉。(インタビュー中のもの)

「自分の職業が何であるか、そういうことはあまり気にしません。
私は、モノをつくってるというだけでいいです(笑)。」

というもの。
いいなあと思う、けど、仕事って従来のカテゴリーにはまってるほうが、
何をやっている人かわかりやすいし、お客さんも、それに対する報酬も払いやすい。

つくる時は、この言葉のようにつくりたい。本来は、カテゴリーありきで、ものづくりを始めるわけではないし。
でもそれで報酬を得るなら、つくるものが、ある程度ほかの人にもわかりやすくて、だれかに必要とされないと。
最近、空間づくりと写真を撮ること両者について、考えてます。

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2007.01.21

あじき路地、ふたたび

Rim01
先週の木曜日、京都東山のあじき路地に友人と訪れる。
昨年に一度、京都市内に長屋の古家をもつ女性と、長屋がうまく活かされている事例見学という名目で訪れた。そして今回はそのあじき路地で店舗を構え、手づくりの革製品を制作・販売する女性を訪ねた。

その店舗はRimさんといって、手縫いで革製品を制作しているShop。革製品で手縫いなんて、初めて目にしたのだけど、手縫いのなんとも言えない風合いに素直に感動。手縫いといっても、もちろんきれいに整っているのだけど、なんというか、フリーハンドで引いた線と定規で引いた線が確実に異なるように、手縫いは手縫いの素敵な味があるのだ。
Rimさんところの商品は、一つの型(デザイン)で布と糸を選ぶことができる。そしてそれだけ縫い目に味があると、縫い糸を変えただけで同じデザインでもかなり表情が違ってくるのが面白い。形はシンプルなものが多く、それでいっそう手縫いの線がいい味付けになっていると感じる。

友人と二人でRimさんの仕事についていろいろと質問。
なぜ手縫いを選んだのか、どこで習ったのかとか、長屋の改装のいきさつとか。短い時間だったけど、いろいろと尋ねてみてRimさんから感じたのは、好きなことに向かって、ちゃくちゃくと進めていくという強さ。
とってもユニークだと思った受け答えはこれ。
私の友人の「どこで革製品をつくる技術を学んだんですか?」という問いに対して

「いわゆる“学校”のようなものは、無かったの。だから、独学で出来る分野なのかもしれないと思って、“教室”には通ったことがあったけど、あとは調べたりして自分で勉強したんです。」

というもの。
自分のやりたいことに対して、自分で道筋をつけていく。
これは週末講義の講師の方の著書“自分の仕事をつくる”の領域だな、と思った。

今のお店を構えるまでにいろいろな仕事をやっていて、例えばインテリアショップの接客のスタッフなども経験していて、それも多いに現在の仕事の多いに役に立っているといっていたこと。

「良いデザインが出来たり、革製品をつくる技術が優れている人は多くいるけど、それだけでは果たして、自分で店を構えてやっていけるかどうか…。」

というような、話にもなった。
人に仕事を頼まれるって本当に簡単なことではない、と独立する前からずっと思っていたのだけど、ここで上がった話も、まさにそれ。
ものづくりは人と人の間で成り立つものなのだな、改めて思う。
いや、ものづくりに限らず「しごと」ってものがそういうものなのだろうな。

Rim02

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2007.01.18

世の中2次情報が多い_週末講義その6

昨年の週末講義で

今の世の中2次情報(=誰かが一度加工した情報)が溢れていて、ともするとその情報に縛られたり、踊らされやすくなっている、それってどうなの?

と、あった。

例えば、私なんかは自分で自分の2次情報に惑わされてるとある時気付いた(笑)。
それは長期旅行で撮った膨大な建築空間の写真。一度にあまりに多くの空間を見ていると、やはりその場で全部はインプットしきれなくて、旅先から帰ってきてから何度も見返している写真の方が頭の中に定着してしまう。空間ってやはり写真じゃ撮りきれない情報が多いので、その場で体験したものを記憶しておきたいのだけど、写真で撮られたアングルの方を、リアルな記憶と自分で錯覚しているという状況(笑)。

それでも、写真が無いとそれを体験したこと事体も忘れてしまうことがあるから、何も無いより写真として残っていたほうが良いと思っているが。
本当は、写真が自分のリアルな記憶を呼びもどすスイッチであればいいな。

おととい書いた、太陽と月の光が地球に届く時間の砂時計は、世の中2次情報で溢れているということが気付かせてくれる存在。リビングワールドが提案する1.2次くらいの情報といったらいいのでしょうか。


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2007.01.16

太陽と月の光が地球に届く時間

Hourglass03
“ジャック・マイヨールの息の長さ”は、 2005年夏、リビングワールドの“窓”展で手に入れました。そして最近、手元にやってきたのは“太陽の光が地球に届く時間”と“月の光が地球に届く時間”

時(とき)の長さが白い砂の量で測れて、太陽の光が地球に届く時間と月の光のそれの違いが ひと目で把握できるのが面白い。月の光が届く時間は、砂が少な過ぎてガラスに付着したまま落ちないんじゃないかと思うくらい、ほんの僅かな量。一瞬なんだなあとわかります。それに比べたら、太陽の光はもう少し長旅をしてくるよう。

この砂時計たちは、デザインオフィス・リビングワールドのIn this timeというシリーズで、私たちが通常何気なく使用している秒とか分とかでは無い単位の“時(とき)”を示しているとのこと。
実は今の世の中、便宜上あるいは商業上つくられた尺度のようなもの(=情報)がとっても多い。例えば大きなところで言うと、“時間帯の境界線”は、地球は球であるけど、それに純粋に沿うかたちではなく国境の形で決まってる。そこには政治の力や経済的な便宜上の理由が働いていたりして、あくまでも人工物なんですね。人間が便宜上つくった時間の単位の一つでしかないと言えます。

このお話は、やはり昨年の週末講義で聴いたもの。
別の時間の単位の一つとして、この砂時計があるのですね。


Hourglass04
月の光が地球に届く時間は僅か。

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2007.01.14

ジャック・マイヨールの息の長さ

Hourglass01
「In this time:the freediving world record surpassd a depth of 100m
(1976;Jacques Mayol)」

と、フレームに刻印された、ちょっと風変わりな砂時計をもっています。
1分とか3分とかではなく、ジャック・マイヨールがフリーダイビングで100mを超える深さを潜り、ワールド・レコードを出した時の息の長さ(潜水時間)の砂時計。

シュノーケリング愛好者の私は、フリーダイビングの神様の呼吸を手に入れることが出来るような気がして、この砂時計を見た瞬間に、「絶対欲しい!」と思いました。
目に見えない時(とき)の長さが、こんなふうにデザインされて形となって、それを手にとることが出来るなんて、とっても面白いですよね。

また、デザインする側から考えてみると、この砂時計のようにある形をとっているけど観る人によってイメージの分だけ広がりを持つ、あるいは多様な意味を持つ、みたいなものをつくれたらいいなあと思う。

Hourgrass02

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2007.01.05

もの作りはピクニック_週末講義その5

Gantan15昨年末に知人と話ていた時のこと。
独立して一人で仕事するっていうことに対して

「一人で仕事するものもちろん悪くないと思うけど、自分は何人か(チームで)で仕事することに、惹かれる」

というようなことを返してくれた。
それを聞いて、昨年11月の週末講義の講師の方が

「ものづくりはピクニック」

といって、彼の仕事の過程などを説明してくれたのを思い出す。
彼にとって“ものづくり”はある意味ピクニック、成果物も大切だけれども、その過程を楽しむこともとても大事なのだと。だから、プロジェクトのキックオフも重要で気を使う等々、話にのぼった。

これで気付いたのは、前の設計事務所に勤めていた私は、やはりピクニックに参加する側だったのだということ。
そして、今は一人だけどこれから誰かと一緒に仕事をするのは必然なので、今度は自分がピクニックの場を作る側になるのだとも自覚。

また、その講師の方は

「コラボレーションは掛け算」

と言っていた。
よい化学反応を起こせるコラボレーションは足し算ではなく、掛け算。
これも印象深い言葉でした。
一等楽しいピクニックは、掛け算になるということですね。

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2006.12.25

週末講義その4…“話すことは、その人の力になる”

「話すことは、その人に力になる」

講義2日目は出席者は講師を含めて10名、昼休みを挟んで5時間、ほとんどが皆でのディスカッション。
講義の始めのあたりで講師の方が皆に言ったのがこの言葉だった。

「書くことは、その人の力になる」
っていうのは、このブログと別のブログ“地球アパートメント”を綴り始めてから個人的に実感している。
自分の考えてることを、なんとか文章に置き換えることによって、ぼんやりしていたものに、輪郭が出来てくる。
文章に置き換えることによって、思考の矛盾がみえてきたり、結局のところ自分は何かいいたいのかも、書いてはじめてわかったりすることだってある(笑)。

そういえば今回、ディスカッションするテーマを決めるために、参加者のコメントをひとりづつ黒板に書いたことがあった。
「書いてみると、その言葉と自分の距離がとれる(客観的に見れる)。」
とのことだった。
文字に落とすというのは、ブログでもメールでもなんでも、そういう効果があるのだろう。

では、話す(言葉を発する)こととは、いったいどんなもので、どんなふうにその人の力になるのだろうか。
考えてることを、唇から発することによって、思考をリアルなものとして起こし、その重みを自分で背負うってことだろうか?

「話すことは、その人に力になる」
という言葉を聞いた時に、とても気持が高揚したのだけど、どうしてそう思えたのか、ここまで書いてみたけど、まだ説明できません(笑)。

Moss
わけわかんなくても、とりあえず惹かれたものは撮ってみる、というのも自分の力になっているような気がします。
たいてい理由は後で見つかります。いや、あとで理由をつけてるといった方が正しい?

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2006.12.19

週末講義その3の2…“自分に蓋をしない”

昨日の“自分づきあいを大事にする”の補足。
自分づきあいを大事にする、とは

“自分に蓋をしない”

つまり、昨日使った言葉で言えば“自己(=本当の自分、本音の自分)”を見ないふりをしない、ということ。
“自己”を無いことにしない、ということ。この考え方からすると、“個人”とは、自分が思考してつくっているものであったり、自分のことを見る他人が形づくるものであったりするのかもしれない。

それから自分に蓋をしない、とは、自分の気になる(=気に入った)ものごとに

“うっとりする能力”

を発揮することでもあるとのこと。
つまり、自分の感情・感性を活性化しておくことなんでしょうか…。

Hikidemonoうっとり能力に長けてるなあ、と思う友人の結婚式のこだわりの引き出物。イタリア製エキストラバージンオリーブオイル、京都老舗の亀の子たわしと美しい干菓子。

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