« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006.12.29

友人のオフィス準備お手伝い

11月頃から友人の新しいオフィスの準備してます。
設計というよりお手伝い、という感覚。友人のお父さんが、自分の趣味部屋として以前日曜大工で改装していたスペース(デスクも手づくりです)を、彼女のオフィス用にコストを睨みながら整えるというもの。
彼女の場合接客は外で行うので、ここはペーパーワークをする場所。シンプルで肩のこらない彼女らしいスペースにするのが、今回の目標。

今週は大一番のペンキ塗りでした。月・火曜日と友人の家族総出で、水性ペンキのつや消し白で壁と天井を塗りました。あと、やはりお父さん手づくりのデスクも壁に合わせて白っぽいオイル系の塗料で塗装。
とくにお父さんの働きが素晴らしい!
本当にスムーズにペンキ塗り終了。
Cerca01
おそらく初めて着たツナギ姿が、なぜかしら板についている友人。

Cerca03



昨日は電気屋さんに新しい照明器具をつけてもらいました。
ライティングダクトと白熱灯のスポットライト5灯。以前は蛍光灯だったので、新しいライティングでぐっと雰囲気が変わりました。これに加えて作業机にはデスクライト(今回はバイオライトを購入)を取付け、明るさを採ります。

Cerca02
Cerca04
友人は旅行業で起業。
彼女が新しくスタートする場所が少しづつ整ってきています。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.26

好きで住まうことが大切

一昨日は知人のはからいで、東山区のとある路地にある長屋の家々を見学する。やっと2mくらいある路地に面して可愛らしい長屋が立ち並んでいて、そのうち6軒ほどは一人のオーナーの方が、ものづくりをする若い人たちに賃貸している。主に住居兼仕事場としてつかうことを前提として。
Roji01
私がここに訪れるきっかけになったのは、京都市内にやはり同じような長屋をもつ女性から、相談を受けたため。長屋というからには、隣の家と柱・境界壁を一緒にしているにしているのだが、彼女のもつ家はその共有している柱壁が傾いている。共有なので、柱壁を垂直する工事もおそらくままならず、あまり予算をかけずに直すにはどうしたもんだかと考えていたら、知人がこんなところありますよと、似たような構成の路地+長屋群を教えてくれたというわけです。

Roji02
昨日は、6軒のうちの3軒ほどにお邪魔して、そこで商っているお仕事について聞いたり、家をどんなふうにつかっているか、直したか尋ねたりしました。
私が単純に驚いたのは、私が相談を受けた長屋と同じように壁や柱は傾き、住人の方も「最初は酔った」というくらい床が傾いているのに(だから、キャスター付きの家具は置けないそう笑)、きちんと掃除されて心を込めて使われている家って、こんなに輝くんだということ!

なんともいえず、気持ちのよい空気が流れていました。
お気に入りのものを大切に扱うように、家も大事に住まうと、その扱い方が正直に見えてくる。
こう書いてる今も、その部屋の感覚がよみがえってきました!
ものを丁寧に扱うって、ほんと気持いい!
モノから空間が滲みでてました。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2006.12.25

週末講義その4…“話すことは、その人の力になる”

「話すことは、その人に力になる」

講義2日目は出席者は講師を含めて10名、昼休みを挟んで5時間、ほとんどが皆でのディスカッション。
講義の始めのあたりで講師の方が皆に言ったのがこの言葉だった。

「書くことは、その人の力になる」
っていうのは、このブログと別のブログ“地球アパートメント”を綴り始めてから個人的に実感している。
自分の考えてることを、なんとか文章に置き換えることによって、ぼんやりしていたものに、輪郭が出来てくる。
文章に置き換えることによって、思考の矛盾がみえてきたり、結局のところ自分は何かいいたいのかも、書いてはじめてわかったりすることだってある(笑)。

そういえば今回、ディスカッションするテーマを決めるために、参加者のコメントをひとりづつ黒板に書いたことがあった。
「書いてみると、その言葉と自分の距離がとれる(客観的に見れる)。」
とのことだった。
文字に落とすというのは、ブログでもメールでもなんでも、そういう効果があるのだろう。

では、話す(言葉を発する)こととは、いったいどんなもので、どんなふうにその人の力になるのだろうか。
考えてることを、唇から発することによって、思考をリアルなものとして起こし、その重みを自分で背負うってことだろうか?

「話すことは、その人に力になる」
という言葉を聞いた時に、とても気持が高揚したのだけど、どうしてそう思えたのか、ここまで書いてみたけど、まだ説明できません(笑)。

Moss
わけわかんなくても、とりあえず惹かれたものは撮ってみる、というのも自分の力になっているような気がします。
たいてい理由は後で見つかります。いや、あとで理由をつけてるといった方が正しい?

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.19

週末講義その3の2…“自分に蓋をしない”

昨日の“自分づきあいを大事にする”の補足。
自分づきあいを大事にする、とは

“自分に蓋をしない”

つまり、昨日使った言葉で言えば“自己(=本当の自分、本音の自分)”を見ないふりをしない、ということ。
“自己”を無いことにしない、ということ。この考え方からすると、“個人”とは、自分が思考してつくっているものであったり、自分のことを見る他人が形づくるものであったりするのかもしれない。

それから自分に蓋をしない、とは、自分の気になる(=気に入った)ものごとに

“うっとりする能力”

を発揮することでもあるとのこと。
つまり、自分の感情・感性を活性化しておくことなんでしょうか…。

Hikidemonoうっとり能力に長けてるなあ、と思う友人の結婚式のこだわりの引き出物。イタリア製エキストラバージンオリーブオイル、京都老舗の亀の子たわしと美しい干菓子。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.18

週末講義その3…“自分づきあいを大事にする”

社会にでて、会社で働くことについての話題からきたのだろうか、

“自己”と“個人”は別であると考える方が楽である

と、講師の方が図で説明してくれた。

この場合、

“自己”とは感情部分の自分、
“個人”は思考を使って社会に対峙している自分、

としている。図では“自己(感情)”をオブラート状に“個人(思考的な自分)”が包み、“個人”が社会(また、会社)と接している。

端的な例だけど、会社の指示で自分の意にそぐわない仕事(たとえばノルマがきつすぎる仕事)を与えられ、やり遂げなければならないとする。
通常会社に雇われている以上、

その仕事はやらないといけないとするけど(=個人、思考的な自分)、
“意にそぐわないでいる自分がいる”ということ(=自己、感情)を、

自覚していることが大事ということだ。

「あ、自分は納得しないでいる」とか「自分は悲しんでいる」とかの“自己”にもしっかりつき合うということが大事ということ。
自己のない個人ほど、空虚で面白くないものは無く、自己を無理に押し殺し見ないふりし続けると、体にだって変調をきたしてしまう、とのことだった。

それにしても社会に出る前の学生が、この“自分づきあい”について、こんなに明解に知る機会に遭遇するなんて、凄くラッキーだよなあと羨ましく思って、それを同じ講義をうけてた知人に話したら、

「それは今のあなただから、すごくラッキーだと思うのであって、
学生はそこまでリアルに理解できるかどうかは、わからないよ。」

という、コメントが返ってきた。
そうか、そうなのか…。受け止めるタイミングってものも、確かにあるよなあ。
でもすごくいい説明だったから、凄くリアルに理解できなくても、この

“自分づきあい”

という図式は忘れないはず。


Seri

| コメント (2) | トラックバック (0)

2006.12.17

週末講義その2…“桃の色”

ある著名なデザイナーが、スタッフに色を指示するときに、
「はい、これで」と、実物の桃を渡したことがあったという。

このエピソードをもとに講師、学生皆でディスカッション。
「色っていっても、実物の桃だったら1色じゃない。」
「色はもちろん、重さだって、香りだって、それに熟れ具合とか、実物の桃には、いろんな情報が詰まっているよね。」
「それを受け取るひとによって、感じ取る色が違うはず。」
こんな感じで、いろいろな意見がでる。

その中で聞いてハッとしたのは、ある学生が言った、
「桃を渡すことによって、色についてスタッフとコミュニケーションを始めようとしているんじゃないのかなあ。」
というもの。

つくりたいものが、なんとなく自分の中で(色に限らず)桃のイメージがあるとする。
そのような時にはスタッフと桃を眺め、観察しながら、お互いの感性を開いて交換し合って、面白いと思うものを探っていく。

物事の進め方というものは、様々な方法が存在して良くて、この場合は閉じていない、両方向意思伝達が可能な進め方といったらいいのだろうか。
桃を渡すのは、指示ではなくてコミュニケーションの始まり。
コミュニケーションを取ることを前提として、時として緩いイメージから始めて見るという方法。


Ringo

| コメント (4) | トラックバック (0)

2006.12.14

週末講義で貰ったもの… “生活とインプット”

先週末にユニークな講義に参加する機会に恵まれました。
講義といっても堅苦しいものではなく、講師の方が自分の仕事を通して、ものづくり(ひいては仕事)について話し、その後に皆でディスカッションするというもの。
その方の仕事は前々から見ていたのだけど、仕事のプロセスや仕事に対するスタンスを、まとめてつぶさに聴くのは初めて。本当にノートに書き留めたいばかりで、二日間の講義終了後は、頭の中は飽和状態。いっぱいいっぱいでした(笑)。
今から書くのは、その講義の中でしっかり心に留めときたいなと思ったことのひとつです。


その講義の前日に会った友人が

“私は生活を大事にしている人と仕事がしたい”(だいたいこんな言葉だった)

と言ったのを聞いて、“うん、確かに生活は大事にしたい”と普通に受け取った。
前々から生活を大切に送るのは大事なことだと、自分でも漠然と思っていた。

そして週末の講義で

アウトプット(=何か作り出されたモノ、例えばデザイナーによってつくりだされたモノ)は
インプット(=その人の観察力、感受性によって受け取っている情報)があってこそ

という、言葉を聞いて、

“生活することとは、インプットそのもの”

なのだと、実感しました。
何か特別な体験をしたり専門の勉強をして情報を得ることだけが、インプットではないということ。
だから、日々の何気ない生活を丁寧に送ることが実は大事、ということ。

シンプルなことなんだけど、自分の中では“繋がったー!!”という目からウロコ的な出来事でした…。

Hana
“私は生活を大事にしている人と仕事がしたい”といった友人のすまいは、いつもすがすがしくて、とても心地よくて、リラックスしてしゃべり過ぎてしまいます(笑)。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.12

重森三玲庭園美術館、見てきました

金曜日に松下電工の汐留ミュージアムで「重森三玲の庭」 展を観たが、本日は京都の重森三玲庭園美術館に友人と訪れる。
Shigemori_g02jpg

Shigemori_g01jpg
もとは京大近くの吉田神社の社家鈴鹿家所有の邸宅であったものを、重森三玲氏が譲り受けたもので、庭園、茶室等は氏の設計。(元来からあった樹木なども一部残っている)

庭に足を踏み入れた瞬間に、とにかく庭の密度の濃さに衝撃を受けてしまう。
庭と書院の密度が6対4あるいは7対3くらいで、石とか砂利とか樹木とか庭の方がモノ密集率が高いくらいの印象、建物負けそう(笑)。それなりに背のある石がめいっぱい配置されているからか、敷地いっぱいいっぱいに“強い”モノが詰め込まれている感じ。

管理の方の解説で、石組みは通常の自然の石が形成されている状態とは異なって、堆積層の模様が垂直になるように、石が設置されていることを知る。(これが庭づくりの定石か?)
それで、ますます石の印象が強く感じるでしょう、今迄体験したことないような、強烈な密度の庭空間でした。

Shigemori_g03jpg
Shigemori_g04_1
Shigemori_g05_1_1
書院に取付けられていた灯りが、空間に対してあまりにもぴったりなので気になっていたら、この間のために三玲氏の友人であったイサム・ノグチがデザインした照明とのことでした。納得、納得。

| コメント (4) | トラックバック (1)

2006.12.05

「うん、これ!」と思うコーヒーカップ_白山陶器M型シリーズ

前々から、ずっとお付き合いできそうなコーヒーカップを探していましたが、やっとやっと見つかりました!
見つかったというより、それに決めたという方が正しいかもしれませんが…。

欲しかったコーヒー+ソーサーは、形がごくシンプルで、コーヒーが引き立つようにカップの中が白で、飲み口が薄めで(個人的には、薄いほうが味がしっかり感じられる気がします)、入るコーヒーの量が多すぎず少なすぎず、買い足しができるようなある程度定番商品のもの、そして高価すぎない(笑)もの。

ずっと候補だったものはiittala社のTeemaシリーズのcup&saucer
この商品は、スタッキングもできるし、形もすごく好みだったのだけど、個人的に一つだけ躊躇していたのは、カップが少し大きめであること。
私は大のコーヒー好きなので飲めてしまう量だけど、普通の人がみたら、少し多めかなと思う量ではないだろうか。

でもそれ以上気に入るものが見つからず、どうしようかずっと考えていたのだけど、つい最近白山陶器のコーヒーカップを天保山のサントリーミュージアムショップでみかけ、「うん、これ!」と思わずその場で買いそうになってしまった。大きさも理想的だし、形もごくシンプルで、絶妙の安定感のある形が何ともかわいらしい。思わず手にとりたくなるようなボリュームをしてます。
でも、購入を思いとどまったのは、カップをスタッキングできなかったため。
それから何週間か迷い、周囲のこだわり人に訊いてみたりしたけど、結局これが自分には合いそうな気がして、まず白山陶器からカタログを取り寄せました。それが届いたのは、今週始め。カタログの大きな写真で再度カップの感じを確認して、このM型コーヒーカップにを決めました!
来年始めに何客か購入しようと思います。
これで朝のコーヒーがもっと豊かになるかなあ…。

Mgata
私は不勉強で知りませんでしたが、このM型コーヒーカップは著名なデザイナー森正洋によってデザイン、1973年のグッドデザイン賞を受賞しているものでした。ちょうど今年復刻商品として再販売されることになったようです。色は白と青、2色あり。白を購入の予定。

| コメント (4) | トラックバック (0)

2006.12.02

事務所登録しました

最近、parammmを1級建築士事務所として登録しました。
まだ1級建築士でなければ出来ない仕事は受けてませんが、新しくつくった名刺に載せるため登録。
現実の状況としては何も変化は無いけど、自分の中では「スタート切ったかな」という気持ち。不思議なもんです。

Jardi_botanic01
好きな建築家の一人、Carlos Ferraterの魅惑的なランドスケープ、Spain,Barcelona,Jardín Botánico

| コメント (4) | トラックバック (0)

2006.12.01

最近の印象的なできごと

最近自分にとってきちんと覚えておきたい出来事が幾つもあったのだけど、仕事で右往左往していて、例のごとく大事なものが指の隙間からこぼれ落ちていくような不安に駆られています…。
まずはメモとして手短かに書き留めておこう。

061114(火)
宇治市のNPO法人「働きたいおんなたちのネットワーク」の活動の現場を見学させていただく。二つの活動現場を見学させてもらい、印象に残ったのは親子の居場所「つむぎ」に関すること。
ここの代表の方からのお話しでは、この子供とその母親の寄り合いの場所では、子育て支援の場所でもあるけど、母親が

「女性でもあれる」

ということだった。
具体的にいうと、子育ての悩みだけではなく、シンプルに女性として話したり、悩みを相談したりもできるような空気がある(つくっている)ということ。 そういう理由で、「他の場所ではなく、ここに来る。」という親子がたくさんいるとのことだった。
もちろん母でもあるのだけど、それ以前にひとりの人(女性)として生きてるのだなあ、と知ったのでした。


061116(木)
ボジョレーヌーボーをイタリア料理と楽しむ会などという、私にはちょっとめずらしく(笑)素敵な催しの参加する。
この会の主催者である女性のひとりは、京都生まれ京都育ち、彼女が幼いころから知っている京都のよいところが無くなりつつあることに危機を抱き、京都のよいところを京都の外側(例えば東京)から発信する事業をしている。
私は京都育ちではないが、彼女が無くしたくない「京都の素敵なところ」に、共感する部分があって、なんだか嬉しかった。私が共感したというのは、京都では何気ない普通の生活が豊かである、ということ。
とれたての野菜を売りにくる人が、近所に普通に近所にまわってきたり、普通のお豆腐が美味しかったり。そうそう、「ご近所」があることも。
生粋の京都人である彼女が精力的に動いていることに、これからの京都を頼もしく感じたのでした。


061120(月)
伝統工芸(技術)を活かしたユニークな建材をプロデュース、そして販売しているベンチャー起業の経営者の方にお会いし、モノづくりに関する興味深い話を本当にたくさん頂いた。仕事のお話しを伺ったというより、まるっきりこちらが勉強させて頂いた、という感じ。貴重な時間でした。
彼の話を聞き、モノづくりという点で京都の大きな可能性を感じ(技術はすでに存在しており、それを現代にどう活かすかだけ)、自分が京都で設計の仕事を始めるにあったってとても勇気づけられた。
京都では、東京のようにとんでもないスピードや大きなお金が動く必要はないように、私は思える。
確かな技術に裏付けされた、現代にあった良いものを、つくっていければいいよう思うのだけど。


061126(日)
越前市のNPO法人の方が中心の視察団(?)が京都府女性総合センターへ。
センター内のチャレンジオフィスも見学の対象、そしてそこに入る私たちも質問をうけたりする。
自分の事業を説明したり、質問を受けている中で、あらためて起業について考えを巡らす。

061129(水)
京都某大学のキャリア支援科目の授業に参加。
この授業は、いってみれば自分のこれから先のキャリアを見いだせないため、モチベーションが下がっている学生に、現実の社会人の生き様(笑)をみせるというもので、20代から60代までの社会人が学生にインタビューされる側として参加した。
私もインタビューされる側で、このお話しを頂いた時に、「私は起業したばかりで何も成功していないのですが、学生のキャリアの参考になるんでしょうか?」と訊いたら、「そういう、現在進行中の人がいるのもいいのです。」というような返答を頂いたので、参加することにした。私も今までいろんな人に力をもらってきたので、何かできることがあれば、と。

この日のインタビューは、(後から思えば)今迄の私の人生ではこんなにたくさん喋ったことがない、というくらい喋りました。 10分程の休憩を挟んで40分のインタビュー3本!数人の学生のインタビュアーに対して、答える方は社会人ひとりです。でも、自分の授業より疲れなかったのは、学生の皆さんの問いかけの姿勢がとっても礼儀正しく真摯であったからかな…。
インタビューされる社会人の職業を、学生は当日に知らされたとのこともあって、職業については問いが掘り下げることができなかったようだけど、

「働くことって?」「社会人って?」「オトナって?」

を知りたいという気持は素直に感じられて、拙いながらできるだけ誠実に答えたつもり。
それから、方法論的な質問が数多くあったのは、大きなビジョンを描けないからだろうかと思い、

「自分のビジョンを描くこと、そのためには自分の好きなことをみつけること」

という、極めてシンプルなことを伝えたのだけど、何も成し遂げてない私が言っても、言葉の上滑りに聞こえたかもしれない、と少し不安。当日他の社会人の方の職業を知ったのだが、私ともう一人20代の女性以外、皆キャリアコンサルタントもされている方ばかりで、自分の経歴しか話せない私の話は、かなり偏った事例だったかもしれないなあ、と思い返している。

それにしても、この授業の存在自体はとってもいいなと思う。かなり“活きが良い”現実のオトナたち(私のことはちょっとおいておいて)の生の話が、間近できけるのだから。幾人かの“オトナ”は、明らかに学生より数段エネルギッシュだった。インタビュー後の感想で

「このひと、生きてる!って思った。」

と宣った学生がいたそうだけど、それは私も正直頷けた。


ここ最近はこんな感じで仕事もそれ以外もお腹いっぱいです。
頭からこの体験が抜け落ちませんように…。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »